「そんなバカな話があるもんか!」。
やはり周りの誰も私の話、もっともそれは妻の話を伝えているだけに過ぎないが、明日大地震が起きることなど信じてくれない。いつか大きな地震がやってくる。それは人間にはいつかは必ず死がやってくるのと同じくらい当たり前のことだろうが、「お前は明日死ぬ」と言われて健康な人間がそれを受け入れるのが困難なのも当然である。同様に明日地震が来る話も信じられない。ただ、来ないことを証明することは誰にもできない。火曜日の夜、同僚達の冷ややかな声に送られて会社を後にした。
翌日、件の水曜日は朝から良い天気だった。せわしく我が夫婦は朝から準備に掛かった。いろいろとシナリオを想定してみる。電気は?、ガスは?、水道は?。電話も止まるのだろうか?。インスタント食品と缶詰でここ数日の食料は蓄えてある。水も飲料水なら買い溜めたが、トイレの分はどうしようか?。浴槽に溜めてはいるが、それをバケツで毎度毎度運ぶことになる。しばらく、風呂もシャワーもダメなのか?。
昼過ぎからは夫婦揃って、ひたすらそのときを待った。待つことを喜んでいるわけではないが、待つしかない。時計を見て、テレビを見て、そして蛍光灯の紐を眺める。
「まだ、何も感じないか?」
「いや、きっと来る。来るのは間違いないわ」
その言葉を聞いて、私の喉がごくりと鳴った。
結局、昼食も夕食も非常食で済ませた。いつもならそろそろ会社を出て帰途につく時間になった。同僚達の顔が浮かぶ。地震なんか起きないにこしたことはないが、今は違う。祈るような気持ちになった。
突然、私の携帯が振動とともに着信音を発し、ドキッとした。発信元は夕べ冷ややかだった同僚だった。わざわざ電話をかけてきたわけが分かるだけに出る気にはならない。そのとき、グラっと揺れが来た。夫婦で顔を見合わせ、無意識のうちに笑顔になった。しかし、すぐにその揺れはおさまり、揺れも小さかった。数分後にテレビに映し出された東京地方の震度は「1」。そのとき、またさっきの同僚からの電話が鳴った。すかさず、電源を切った。
結局いつものようにテレビを見て、風呂にも入って、寝る時間を迎えた。日付が変わるのを二人で確認して、ため息をついてベッドに入った。今日はもう、二人で揺れる気にもなれない。翌日会社に行くのを迷いながら、枕元の照明を消そうとしたとき、
「ちょっと待って」と妻が言った。
途端にカタカタという振動音がしたかと思うと、下からドカンと一撃、突き上げられる衝撃を受けてベッドが大きく揺れ始めた。妻の悲鳴とともに、二人で抱き合った。怖さのせいか、喜びの抱擁かを判断している暇などない。揺れがおさまる前に照明が消えた。
随分長い時間、大きく揺れていたような気がする。揺れが止まってまず最初にしたことはこれが夢ではないか確認するために頬をつねってみた。痛かった。寝室にも懐中電灯を準備していたために、それを点け、部屋の中を照らした。蛍光灯の紐はまだ揺れている。固定していたリビングの本棚や食器棚は無事だった。ベランダに出て外を眺めてみたら、建物が黒い塊となり、車のヘッドライトだけが点々と見えた。
「やっぱり来たね」どちらからともなくそう言った。
外に人が出てきはじめた。泣き声とともに、不安から声を荒げている人達の声が聞こえる。避難場所に移動するべきかを話し合っている人もいる。
「今日はもう終わり」妻はそう言うと、踵を返して寝室に戻っていった。
遠くでサイレンの音が聞こえた。
− つづく −
(もちろん、フィクション)
(秀)