そもそも、全角とか半角とかいう言葉はコンピュータがなければ存在しなかったはず。英語圏で必要な文字(数字や記号も含む)に全角や半角の区別など存在するはずもなく、区別などないはずだが、我々の用語で言えばそれは半角である。それらは8ビット(2の8乗)分の信号を使って表現されている。256通りということになる。数字や大文字小文字それぞれのアルファベット、それに記号などにコードとして割り付けられている。
しかし、日本語の漢字までを表現するにはこれだけでは足りない。8ビットを1単位とするバイトを2個で1つの単位として、256の2乗、すなわち65,536通りの表現を得て、それが可能となる。今ではなにも気にすることなくそれが当たり前のこととなっているが、それはコンピュータが16ビット分のデータを一括して処理できるようになって以降の話。かつて、コンピュータが8ビット単位でしかデータのやり取りができなかった頃はそれができなかった。
例えば、ファミリーコンピュータは8ビット機であった。またその当時の家庭用コンピュータも8ビットであった。ここで日本語を表示するためにはカタカナが使用された。それも8ビットで表現するために半角でのカタカナである。よって、そもそも半角のカタカナというのはコンピュータの中での表現形態でしかない。
ところがコンピュータの中だけの文字が印刷されたり画面として表示されるようになる。本来、全角の英数字など存在しなかった。だからそれらを見るとちょっと違和感を感じる。確かに記号的意味やレイアウト上の座り、縦書きのために全角の英数字を使用することはあるが。同様に半角のカタカナというのもこれまでの長い日本の文字文化の中には存在していなかった。だから、文字の入力範囲が狭いから、などの理由で半角カタカナで印刷物やプレゼン資料を作るセンスに納得がいかない。
(秀)