子ども達の冬休みも終わり、いよいよ3学期が始まる。「宿題は済んだか?」と聞くと、「ない」と答える。ただでさえ休日が増え、学力不足が叫ばれる昨今、こんな感じで良いのか?。いや、良いはずがない(反語)。「宿題がなくてもドリルか何かやりなさい」と言う。
それにしても「ドリル」とは変な名前だ。辞書を引くと「繰り返しの練習」とある。穴を開けるあのドリルと同じスペルだが、語源は同じなのだろうか?。私が子どもの頃もこのドリルは存在した。計算ドリルに漢字ドリル。それをノートに書いて計算したり、写したりといったことが宿題としても出された。
漢字ドリルは1枚の紙が表裏で1組になっていて、表には漢字が書いてあって、読みの練習。その裏には読みが書いてあって、それを見て漢字の書き取りをやるように出来ていた。漢字のテストもこの漢字ドリルから出されることが多かった。
さて、小学生の息子が書いた漢字帳をチェックしてみる。単語と言うよりも短い文になっている。その文の意味がこれまたよく分からない。ある意味、こじつけである。そしてナンセンスなのである。その中の最も面白い作品(?)を1つ紹介しよう。「妻に似た女性に手紙を書く」。そもそも、小学生に妻はいない。また、妻に似ているということで、その女性に手紙を書く必然性が全く分からない。妻に似た女性に宛てたその手紙は、いったいどういう内容なのだろうか?。私なら、妻に似ていない女性に手紙を書く。
(秀)