落語噺「じゅげむ(寿限無)」は高座では、駆け出しの前座が行うネタである。そのフレーズが面白いのか、NHKの「にほんごであそうぼう」という番組でも再三取り上げているので、子供たちにもこのフレーズを耳にしている者たちが多そうだ。
「寿限無、寿限無、...」と最初の方は言えるのだが、全部がすらすらと言える人は少なかろう。ましてや、意味が分からない。「海砂利水魚?」、くりぃむしちゅーの元の名が何故めでたいんだかもなかなか分からない。そこで今回はこの、じゅげむの意味をストーリーの紹介と合わせて解説していきたい。
人の名前というものは自分で決めることができない一方、親の思い入れがたっぷり込められている。幸せになるようにと、いろいろと思案するものだ。ある男の子が生まれた。この子が長生きするようにと、その父親が和尚さんを訪ねる。「和尚さん。うちに息子が生まれたんで、何かひとつめでたい名前を付けてはいただけないでしょうか」。
「おお、そうか。それはめでたい。では、さっそく...」
「寿限無というのは寿に限りがない、という意味だ」
「五劫の擦り切れとは、3000年に一度天女が空から降りてきて、衣で岩をこすり、岩が擦り切れてなくなるのが一劫。これが五つで果てしない時間を表すことになる」
「海砂利水魚とは、海の砂や泳ぐ魚は取り尽くせないということで無限を表している」
「水行末、雲来末、風来末とは、水の行く末、雲の行く末、風の行く末、いずれも果てがない」
「食う寝るところに住むところは、人が生きていくにはなくてはならないもの。大切なこと、無限に必要なことを表す」
「やぶこうじという木があって、まことに丈夫で、春は若葉を生じ、夏は花咲き、秋は実を結び、冬は赤き色をそえて霜をしのぐめでたい木じゃ」
「そして、昔、唐土にパイポという国があって、シューリンガンという王様とグーリンダイという王后のあいだに生まれたのが、ポンポコピーとポンポコナーというふたりのお姫様で、このふたりが大変長生きをしたそうじゃ」
そして最後は「天長地久という文字で読んでも書いてもめでたい結構な字で、それをとって長久命。長く助けるという意味で長助もいい」
この中から名前を決めることにしたが、忘れるといけないので、これらを和尚さんに紙に書いてもらった。ところが、選びきれないし、せっかくだということで、これら全部を子どもの名前にしてしまった。こんな感じになる。 「寿限無寿限無、五劫の擦り切れ、海砂利水魚の、水行末、雲来末、風来末、食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのやぶこうじ、パイポパイポパイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーの、ポンポコナーの、長久命の長助」
何もフルネームで呼ばなくて、普段はじゅげむちゃんとでも呼べば良さそうだが、落語なのでそうはいかない。話の都合上、フルネームでテンポ良く、名前を呼ばなくてはならない。落ち(サゲ)については数種類あるようで、もっともメジャーなところでは、この子が川に落ちてしまう。周りの子供が助けを呼ぶためにその子供の名前を繰り返して言ううちに、時間が長々と掛かってしまい、助けに行ったときには既に子どもは流され、姿が見えないという残酷な終わり方をする。
(秀)