それは確か、私が小学2年生のときだったと思う。既に働いていた年かさの兄から小遣いをもらって、近くの文房具屋に出掛けた。算数の教科書に載っていた、時間を計測する時計の「ストップウォッチ」を買おうと思って。その算数の教科書にはわざわざボールドのゴシック体で「ストップウォッチ」と写真付きで掲載されていた。
その文房具屋にはあいにく、ストップウォッチは売っていなかった。おそらく当時、日本中のどの文房具屋にもストップウォッチなるものを売っていなかったはずだ。文房具屋さんのおじさんに「ところで、お金はいくら持っているの?」と聞かれた。「500円」。「ストップウォッチはそんな500円くらいでは買えないよ。1万円はする」と言われた。世間知らずとは、また怖いもの知らずでもあるが、子供ながらに非常に恥ずかしい思いがした。
実際にストップウォッチを見ることができたのは、それから2、3年が経った体育の授業時間だった。短距離走のタイムを計測するために、学校の備品であるそれを見て、その重厚さに驚いた。「確かにこれなら1万円はする」。またあの日の恥ずかしさを思い起こしてしまう。
しかし、世の中の変化と技術の進歩は恐ろしいもので、デジタル式のものであれば、ストップウォッチは100円ショップですら手に入る。別に今さら欲しくないけど。そして100円ショップで安価になったストップウォッチを見るたびに今日書いた話を今でも思い出す。もうあの日の恥ずかしさを思い起こすようなことはない。ようやく自分の感覚に時代が追いついてきたと思えるようになったから。
(秀)