紅白歌のベストテンはその後、ザ・トップテンという、ランキング形式の歌番組に変貌した。ところが、どこか目新しさが足りないと感じたのはは司会者が前の番組から同じ、堺正章と榊原郁恵であったからに違いない。それに会場は相変わらず渋谷公会堂だったし。きっとスタッフもそのまま同じ人がやっていたに違いない、と思える
この番組の特筆すべきところは公開番組という所である。会場にはハッピやハチマキ姿の追っかけが見ているわけである。歌っている側としてはスタジオで巧みなカメラアングルで放送されるの(ザ・ベストテンのこと)と実際に観客を前に歌うのではどっちが良いだろうか?。スタジオからの放送ではあまりにもベストテンの二番煎じでしかないため、この点にはこだわっていたのかもしれない。しかし、特筆すべき点はこれだけでしかなかった。
趣向として、中が電飾ギラギラのエレベータからゲストが下りて登場することになっていた。これはベストテンの回るミラー扉を意識したものだったと思われるが、番組の構成上から考えるとあまりにも無関係な浮いたものでしかなかった。まるで披露宴のゴンドラのような。そして、このエレベータはやがて廃止されてしまった。
この頃の音楽界はアイドルの全盛で実力は二の次の様な時勢であった。この粗製乱造ぶりにより、やがて音楽業界が冬の時代を迎えることとなる。また、人々の音楽に対する嗜好の多様化が脱ランキング指向となり、ランキング重視の音楽番組に影響を与えたと思われる。それは怪物番組とまで言われた、ザ・ベストテンについても例外ではなかった。やがてブラウン管から歌番組が一斉になくなり、テレビはドラマとバラエティの時代を迎えるに至った。
(秀)