何かと「新しいものが良いなあ」、と思いがちである。パソコンは日々進歩し、しかも安くなる。バッグや財布なども使っているうちにだんだんとよれてきて、買い直す度に気分も新たになって、それだけでも満足感の一部を満たしてくれる。「女房と畳は新しい方が良い」という言葉も友人などの結婚式に出る度に実感させられる。
古いものには古いなりの良さもあるが、ただ単にそれを「伝統」という言葉だけで価値を認めてしまうのには常々疑問を抱いていた。アンティークなもので今日まで残ったものなどはそれなりの存在意義があって、残ってきたのであろうが、それが他人からの価値観の感染でしかなければ、単なる古いものでしかないような気がする。
今日は会社の帰りに銀座(正しくは有楽町)で途中下車した。真夜中の誘惑(第489話「真夜中の誘惑」参照)につられて、その時計の現物を見るために銀座の販売元のショップに足を運んでみた。話は目的の時計だけでなく、そのときしていた電波時計(第127話「電話時計」参照)の話にもおよんだ。実はこの時計を買ったのもこの店だった。
さすがに5年も使っていると表面のガラスに小さな傷が目立つようになってきている。「この表面のガラスは磨けますか?」と聞くと、「これはアクリルですから大丈夫です。磨けますよ」とその店員さんは答えてくれた。「しかし、良い感じの使用感が出ていますから、このままが良いですよ」と言ってくれた。確かにその時計は私にとってコレクションではない。やはり道具は使うのが一番良い。自分と一緒に道具も年を取っていくことがちょっとうれしく感じられた。
(秀)