私のもんじゃデビューの地は浅草である。雷門の前の道を合羽橋方面(隅田川とは逆の方向)に5分ほど歩くと、かつて昭和初期頃までは日本一の歓楽街であったと言われる、六区にたどり着くが、その手前に「すしや通り」という細い、アーケードの通りがある。その名の通り、寿司屋が数軒並んだ通りであるが、そこに一軒、「穂里」という名の小さなもんじゃ焼き屋がある。
ここのもんじゃは築地のそれとは違う。そこの店のもんじゃには、あまり具が入っていないのだ。メインは小さいクズクズになった、そばである。「元々、もんじゃは子供のおやつで、土手を作れるほどの具なんか入ってなかった」と言うと、おばさんは途端にかき混ぜた生地をザーッと鉄板全体に流してしまう。確かに説得力があり、そもそものオリジナルのスタイルはこんな形だったような気がする。鉄板の生地に向かって、「の」の字にソースを垂らすことはなく、焼く前にソースの類は混ぜ合わせ、味付けは終えておくのがここの作法である。
この店は一部セルフサービスである。オーダーは机に置かれた伝票に自分で書かなければならない。そして、もし、もんじゃ初心者であれば、その伝票に「初」と書いて丸で囲むルールになっている。するとおばさん(おじさんの場合もあり)がさっきのような口上とともに、もんじゃの焼き方を教えてくれる。結構いろいろと作法にうるさいが、それが楽しかったりする。特にソースの分量、入れ方にはうるさい。
この店は非常に小さな店で、テーブルはわずか四卓しかない。通い始めた頃はそうでもなかったが、いつの日かHanakoあたりに載ったらしく、おばさんが得意そうに雑誌の切り抜きを見せてくれた。それを境に店の前に縁台を置いて人を待たせるほどになってしまった。
もんじゃの煎餅というのがある。生地を流した最初のうちにできる、薄い焼けこげのことである。上級者になるとこれが大きくでき、切れない状態でクルクルと内側に巻き込み、「筒焼き」というものになる。隣のテーブルを見るとまさにその筒焼きが大きく作られていた。早速挑戦したが、そううまくいくものではない。「あのお客さんは、これまで払った授業料が違うから」とおじさんが言った。常連さんということらしい。