ここ10年ぐらいの国内政治を振り返ってみようと思う。とりあえずそのスタートを宮沢総理の辞任としよう。’93年のことだ。彼が辞任に至ったのは内閣不信任決議とその後の解散総選挙の結果だった。そこで自民党総裁も辞任した。その後の政局がどうなったかを読者諸氏は記憶しているだろうか?。
このときの総選挙は非常に活気があって、「政界再編」、「新党ブーム」などと呼ばれた。自民党自身の獲得議席数はほぼ横ばいであったが、内閣不信任決議の造反などで離党者がいたため結局は過半数を割ってしまった。それでも従来であれば自民党は連立相手を探して与党であり続けたであろう。しかしこのとき野党が結集し(但し共産党を除く)、首班氏名を受けたのは日本新党代表の細川護熙だった。
小泉総理の支持率も発足当時高かったが、この細川総理の支持率も72%とこれまた非常に高かった。それは新しい政治への期待が込められていたからに違いない。にもかかわらず、細川総理はわずか8ヶ月ちょっとで、辞任する。原因は佐川急便からの借金問題に起因する国会の混乱であった。連立与党は後継首班を新生党党首の羽田孜とするが、このタイミングで社会党とさきがけが連立政権を離脱した。少数与党のため、政権運営が十分に行えず、この政権は2ヶ月ももたなかった。
続いての後継総理は非常に意外だった。自民党と社会党、それにさきがけが加わった連立による村山政権であった。世間の政治的な無関心やあきらめ感はこれ以前にもあって、慢性的なものであろうが、昨今とみに強いこの傾向は世間は変化を求めた、現にそのチャンスがありながらも、この10年の間に政権に与する人々の手でそれが踏みにじられ続けていたがために固定化されてきたような気がしてならない。この10年の政治史はそれを如実に物語っていると思い、書き記してみた。
<つづく>
(秀)