今日は先日聞いた、落語の話を一席。
ある商人が供の下男を連れて、取引先の大店へ行った。すると、大店の主人が酒をすすめてくるが、自分は飲めない。しかし、連れの下男なら五升は飲むと言うと、「本当かどうか、試しにここで飲ませてみよう」と、大店の主人。早速、表で待っていた下男の久蔵を店に呼び入れた。久蔵は無粋で無骨な田舎者だ。
大店の主人は久蔵が五升の酒を飲むと小遣いを出すと言う。久蔵は確かに大酒飲みだが、五升という量を聞いて思案する。「ちょっと、表に出て考えて良いですか?」と。しばらくの後、店に戻ってきた久蔵はこの挑戦を受けることにして、一升の杯を手にして、それを口に運んだ。
落語というのは基本的に複数の登場人物による会話で成り立っている。一旦話が始まるとト書きをあれこれ喋るのは素人向きではあるが、ちょっと野暮でもある。また、複数の登場人物を顔の向きと表情、それに声で演じ分けねばならない。酔っ払いの表情からすぐに別の人の表情に切り替える。酔っ払いの真似もリアルでないといけない。
私が聞いたこの落語を演じたのは三遊亭時松という二ツ目の噺家だった。広げた扇子を杯に見立て、それをあおっていく。のどが動くし、飲んでいる音を実にリアルに表現する。そして一杯飲み干し、扇子をよけて現れた顔は酔った久蔵である。杯は進み、次第に呂律が回らなくなる。あまりもの飲む演技の見事さに、五杯目の杯を飲み干した時点で客席から拍手が起きた。
大店の主人は一杯飲むたびに驚いていき、ついに久蔵が五升飲み干したときには感嘆する。「で、そんなに酒が飲める秘訣ってのあるかい?、まじないとか?。そのあたりを教えてくれないかな。ところで、さっき表でいったい何をしてたんだい?」。
久蔵は、「これまで五升なんて量を決めて飲んだことないので、本当に飲めるかどうか、表の酒屋で試しに五升飲んできた」と答えた。
(秀)