第1730話 ■富久

 気が付けば年末である。毎年加速度を付けながら時間が過ぎている。歳の瀬の落語となると「芝浜」だろうが、私はここのところ、「富久」という噺に凝っている。今の金原亭馬生師匠のそれを寄席で聞いてからというもの、先代馬生師匠、志ん生師匠、志ん朝師匠とCDで聞き比べている。

 「富久」とは富くじと久蔵という人の名からできている。落語で富くじを扱ったものはこの他にも「宿屋の富」や「水屋の富」というのがある。いずれも主人公が富くじに当選する噺だが、それぞれ違いがあってなかなか面白い。

 富くじは今で言えば宝くじである。一等の賞金が千両だったということなので、今の金額に直すと約1億円となる。感覚は今の宝くじに近い。しかし、ジャンボ宝くじのように一等が何本もあったりはせず、一番くじは一本しかない。もっと驚くことは富くじの金額である。その額、一分(いちぶ)。1両の四分の一だから、約2万5千円となる。江戸の庶民はこれほどの高額をはたいて、千両を夢見ていたのである。

 富久の久蔵とは幇間、太鼓もちである。酒癖が悪くそれである旦那をしくじってしまい、仕事もなく借金まみれの状態。そんな中、なけなしの一分で売れ残りの富くじを買う。大事にそれを大神宮様の神棚に上げて、お神酒を寝酒に寝入ってしまうと遠くの方で火事発生。あの旦那の家の近くではないかと、旦那の所まで手伝いに行ったは良いが、その間に今度は自分の家が燃えてしまった。その後にあの富くじが一番くじに当選するが、火事で富くじの札が燃えてしまっている...。けど、大神宮様のご加護か、ハッピーエンドになる。

 さて、ジャンボ宝くじ販売最終日の今日、わずかばかりであるが私も宝くじを買った。あいにく我が家には神棚はない。当たったときのことを考えるだけでも楽しい。うまく高額当選できたら、「大神宮様のおかげで、方々にお払い(祓い)ができます」となる。

(秀)