古今東西で一番有名な落語家は五代目古今亭志ん生だろうと思う。ほとんどの人が志ん生という名前ぐらいは聞いたことがあるだろう。既に他界して久しく、志ん生という名前はこの五代目を最後に絶えている。彼には二人の息子があって、これまた両名とも故人である。蛇足だが、志ん生と言えば、五代目志ん生を指すのが暗黙の了解となっている。
思うに次男の三代目古今亭志ん朝がもうしばらく長生きしていたなら、六代目の志ん生を名乗っていたことだろう。長男の十代目金原亭馬生も志ん生の名前は弟の志ん朝に継がせたいと思っていたようだ。しかし、皮肉にも志ん朝は志ん生を襲名することなく、他界する。それでも志ん朝は享年63歳だった。それほど志ん生の名前は実子と言えども重いものだったことが想像される。もはや志ん生の名前は永久欠番のごとく、誰も襲名できないのではないかと私は思っている。ついでに志ん朝の名も三代目以降絶えている。
さてここにきて三平である。林家三平である。おぼろげな記憶はあるが、「どーもすいませーん」と言っているだけで、ちゃんとした落語をしている姿の記憶はない。しかし、世間的には昭和の爆笑王である。二ツ目ながら寄席でトリを務めたエピソードもある。そして彼一代で築き上げた名跡「三平」を間もなく息子の林家いっ平が襲名する。けど何かピンとこない。「所詮息子だから襲名できたんだろう」という気がしてならない。同様に、兄林家正蔵の襲名も早過ぎた気がしてならない。
どうせ、「襲名して、どーもすいませーん」とでも言うんだろうな。志ん生親子とは大違いだ。
(秀)