第1802話 ■噺家の寿命?!

 「好きな噺家さんは誰ですか?」と聞かれれば、「古今亭志ん朝師匠」と答える。既に亡くなっており、生での高座姿を見たことはない。しかし、幸いにも音源や映像が数多く残っていて、それを楽しむことができる。それらに耳を傾ける度に、「生で見ておきたかった」と思うが、あいにく師の存命中に私は落語に全く興味がなかった。かえすがえす、残念でならない。

 今の若手の噺家となると、生まれたときに既に志ん生師匠は無く、入門したときには既に志ん朝師匠も亡くなっていた、という世代である。そんな中、古今亭の一門で、入門したときに志ん朝師匠が存命だった人(志ん朝師匠一門の直系ではない)から話を聞いた。既に病気に冒されていて、かなり痩せこけていたらしい。「よく怒られましたよ」。自分も志ん朝師匠になら怒られてみて~い(とりあえず江戸弁で)。

 とりあえず現役の噺家の噺を聞いて、次第に欲が出て、かつての名人と呼ばれた人々の音源を聞き出した。最初は志ん生師匠なんか、どこが面白いのか全く分からなかったが、他の演者と聞き比べて、ようやく最近は面白さが分かった。寄席のめくりで志ん生師匠の名前が出ただけで、あるいは一丁入りの出囃子が掛かっただけで、会場が一瞬で弛緩し、誰もが笑う準備をする。もうそれだけで十分な芸と言えよう。

 それに引き換え、寄席の時間の浅い方(早い時刻、最初の方)に出る若手なんて、まともに笑ってもらえない。確かに前座なんかは、高座に座ってただただ間違えずに与えられた時間を淡々とこなすだけで精一杯である。分かりきった噺であるため、客はそうやすやすとは笑わない。二ツ目も最初はそんな感じでスタートし、場数をこなすことで徐々にうまくなっていく。しばらくぶりに見る二ツ目が急にうまくなっていることも、ままある。

 一般に人間の能力はある時点を境に衰えていく。コンピュータ関連のエンジニアは30歳代でピークを迎えると言われている。長時間の勤務を含めて、その後は効率が落ちるようだ。経験は管理職として生かされるだろうが、現場でのパフォーマンスは若い世代にかなわないだろう。

 一方、噺家の方はどうだろうか?。噺家に限らず、我々は中年期を過ぎたあたりから言葉がスラスラと出てこなくなってくる。ろれつが回らないという程ではなく、頭にその言葉が思い浮かぶまでに時間が掛かるようになる。それでつい、「あれ」、「これ」、「それ」という言葉を多用してしまうことになる。

 「噺家には定年がない」とか、「歩いてきて座布団に座ることができるならつとまる」など、噺家自ら自虐的な小咄をふることがある。噺は稽古を繰り返すことで、日常会話と異なり、ある程度の技術を維持できるかもしれない。しかし、体力が落ちていくと長講は厳しいだろうし、十日間の出演も大変なのかもしれない。

 八代目の桂文楽師匠が「大仏餅」を口演中に登場人物の名前が出てこなくなり、「勉強しなおして参ります」と高座を降りたが最後、二度と高座に復帰できなかった話は有名である。これが志ん生師匠だったら、適当な名前で噺をつないで最後まで話し通したであろう。何とも文楽師匠らしいエピソードである。前日も話した噺ということで、文楽師匠はその当日にさらうこと(練習のこと)をしなかったらしい。文楽師匠らしくないことで、彼は高座を降りることになってしまった。

 個々の噺家のピークがどこであるのかを判断するのは難しい。そんな中、私は若手落語家にがんばってもらいたい。しかし、言葉が出てこなくなって、「勉強しなおして参ります」と言った前座がいるとか、いないとか。洒落なのか本気なのかは分からないが、それで引退することはないだろうけど。

(秀)