数日前に落語みたいな事件のニュースを複数見つけた。まずその1つめは、漬物容器に入れられた遺体が見つかった事件。よくよく見ると、生の死体ではなく、遺骨だった。死体と漬物桶という組み合わせの落語がいくつかある。例えば「らくだ」と「黄金餅」。今で言う棺桶にあたる早桶(はやおけ)が買えない貧乏弔いのため、菜漬けの樽を代用しようと言う。そこで菜漬けの樽を(貸して)くれ、と言うと、相手が「何に使うんだい」と聞く。菜漬けの樽なのだから漬物を漬けると思えば良さそうだが、必ず聞く。聞かれた方も正直に「早桶の代わりに使う」と答える。もちろん断られるので、「用が済んだら洗って返す」と言うのが、さらに続くお約束である。
もう1つはスーパー銭湯に無賃で五十数日居続けて、その男が詐欺で逮捕された事件。「居残り佐平次」という噺がある。女郎屋で金を払わないどころか、居続けを生業として、その店から金や着物を巻き上げる豪の者の噺だ。また、金がないのに宿屋に泊まる者が主人公の噺もある。「竹の水仙」は一文無しの宿泊人が左甚五郎だったという噺。「抜け雀」は一文無しの宿泊人が描いた絵の雀が絵から抜け出し飛び回るという噺。
「宿屋の富」は、宿泊した先で、自分は金持ちだ、とホラを吹く男が、なけなしの金で宿屋の主人から残った富くじを買って、一文無しになってしまった。一文無しで居座ろうと思っていたところに、このくじが千両富に当たってしまったから、さあ大変。「当たったら半分あげるから」と言われていた主人は大慌てだが、本人はさらに慌てていたという噺。
現代の1つ目の事件は遺骨になった、おそらく肉親の骨を見捨てた悲しい話である。ましてや肉親の死を隠して、年金を詐取する輩も居る。なんと世知辛い世の中なのだろう。経済的に今よりも貧しかったであろう江戸時代でさえ、こんな酷い話はない。気持ちが豊かでウィットに富んだ人々の話が落語なのだと改めて思う。
(秀)