コラムのデパート 秀コラム

第1852話 ■浜省の曲のその後が気になる

 浜田省吾の音楽をかつてこのコラムの中で「プロレタリア音楽」と称したことがある。彼の音楽に出てくる主人公たちは皆プロレタリアートである。ここまでプロレタリアートであることを歌い上げた音楽体系を彼以外に知らない。尾崎豊のような行き所のない不満を反社会的な行動に転化させることなく、浜省の曲には現状認識のための哲学がある。

 いくつかある彼の曲の中で、「MONEY」、「J.Boy」、「マイホームタウン」を彼のプロレタリア音楽3部作と私は呼んでいる。とりわけ、「マイホームタウン」が私は好きだ。これらの曲の舞台は地方都市である。都会とはそれほどまでは遠くない距離の位置にありそうだ。「MONEY」では、高校を卒業した者は皆街を出て行ってしまう。そして「マイホームタウン」では、16年の教育を終えて紙切れ(卒業証書)を手にしたとあるので、とりあえず4年制の大学は存在する程度の街と言える。そして、80年代に盛んに宅地の造成が行われ、ベッドタウンとしての顔を見せている、そんな街が舞台になっている。そして、労働者として働く人々の様子がそれぞれで歌われる。もちろん、3部作以外にもプロレタリア色の強い曲は多い。

 もうあの頃に街を出た若者たちも、50歳を過ぎた頃だろう。その後の一人が、こんな自分なのかもしれない。都会に出て、バブルに浮かれ、その後はどんな生活をしているのだろうか?。中には街に戻ってきた者もいるかもしれない。その時期でも、決して華やかばかりではなかったもう一面を示していたのが、浜田省吾の世界だった。せめては、そんな彼らも集まって、同窓会でもやって盛り上がって欲しいもんだ。

(秀)

モバイルバージョンを終了