第1032話 ■SAGA

 お笑いタレント、はなわのおかげと言おうか、一時期、私の郷里がちょっとした注目地になった。もう旬は過ぎてしまっているが。ひょっとしてあの歌詞を全面的に信じている人がいるといけないので言っておくが、かなりデフォルメされている。私が知らないだけかもしれないが、徒歩通学にヘルメット、はない。車は確かに少ないはずだが。吉田屋(吉田家?)という牛丼屋はおそらく嘘だろう。家に錠を掛ける習慣は確かにない。

 地元での反応が如何なものか、直接聞いてはいないが、若者は喜び、年寄りは怒っていたらしい。デフォルメというかフィクションの部分を若い人は笑い、年配者はその部分に「嘘だ」と怒っているのだろう。まあ、例え本当のことばかりでも、自虐的であったり、郷土やそこに住む自分たちも馬鹿にされていると、怒ることだろう。

 浜田省吾のごとく、私も早くこの街を出たいと思った。都会が夢のような街だとは思っていなかったが地元の新聞に載っていることが世の中の全て、のように錯覚した人々が多くいる環境からは抜け出すべきと思った。なまじ、雑誌やテレビなどの情報は東京と同じものが手に入り、何が流行っているのかを知り、その真似をしようと思えばできるところが良くない。例え真似てもどこかが違う。本物を見たことがないから?!。それとも言葉(方言)のせいか。

 室生犀星の「小景異情」という詩がある。「ふるさとは遠きにありて思ふもの…」というやつだ。最初は故郷を懐かしむ詩かと思っていたが、実際はその全く逆である。何が彼の心をそう思わせるのかは知らないが、確かに故郷を出て、遠き都から眺めることで冷静にいろいろと分かることがある。もし地元で就職してそのまま生活していたとしたら、視野の狭いに人間になっていたに違いない。「佐賀県」は単なるコミックソングで、しかもデフォルメとフィクションによる虚像がほとんどではあるが、私にはもう一つの「小景異情」にも思える。「帰るところにあるまじや」ってか?。

(秀)