この時期、昼間の大手町辺りにはリクルートスーツに身を包んだ就活生らしい若者の姿をしばしば目にする。世の中全体の人手不足を反映し、売り手市場らしいが業種や個々の会社によって状況はそれぞれだろう。彼らはいったい幾つの会社にエントリーし、幾つの会社を訪問するのだろうか?。自分たちの就職の時期とは状況が大きく変わってしまっていて、今となっては、子どもたちに的確なアドバイスを与えることも難しい。
彼らの多くはこの就活を通して、人生最初の挫折を経験するかも知れない。学校では記憶や計算力などを使って、予め用意された答えにたどり着くことでランキングを決められる。しかし、そんなことは社会に出てしまうと、ほとんど役に立たないことを大人たちは知っている。そして人生の大半を考えれば、学校を出た後の方が重要であることを知っている。
大人はこのことを早いタイミングで子どもたちに教えておく必要があると思うがそれを正面から向き合うことなく、回避している。それどころか子ども尻を叩きながら、受験や塾へと金とエネルギーを投下し、その結果によって満足感を得ようとしている。親だけでなく、教員達もそうだ。
社会人となって体験する様々な苦渋は、正解がないからの迷いだったり、正しいかどうかではなく、関係者の関係性で諸々が決まっていくものが相当あり、それに起因していそうな気がする。就職面接なんかまさにその典型的な儀式だろう。
パソコンから何件も何件もエントリーを行う。採用数が増えるわけではないから、不採用の判定がその分増える。受け付ける側の労力も馬鹿にならない。お互いが必要以上の無駄なエネルギーを使い、一方には相当の苦痛を繰り返し与え続けることになる。
これまでの学歴偏重の社会ではないことや良い会社であろうとなかろうと、一生その会社に勤め続けることが稀であることを大人達はちゃんと教えてあげないといけない。そしてそれ以降は、正解のない答探しを繰り返さないといけないことを教えておかないといけない。別にネガティブなことを言って、彼らの思いにブレーキを掛けろと言うわけではない。ただ真実を隠したまま、尻を叩いて競わせておいて、梯子を外すやり方は無責任だね。
(秀)