ノストラダムスの予言の日までとうとう1ヶ月を切ってしまった。さあ、今年の夏のことなどあきらめて、好きなものを買って(もちろん借金で)、今を楽しもう。うまくいくとそれで景気が回復するかもしれない。そのときが来なければ元も子もないが、それはそれで責める人ごと消えているからOKである。けど、それなのに、この静寂が無気味だ。嵐の前の静けさか。不安になり、書店を覗くとそれなりに「ノストラダムスコーナー」なるものが存在し、ちょっと安心したりする。人類の終焉が不安なのではなく、あれほど以前騒いでいながら旬の今騒がなくてどうするんだ、というよこしまな不安である。はなから自分は予言など信じていない。
ノストラダムスの一大ブームは遡ること’74年だったと思う。「ノストラダムスの大予言」という映画も作られた。国内ではそのちょっと前に「日本沈没」という映画も公開され、滅亡・全滅のブームを迎えた。今この「ノストラダムスの大予言」をテレビで放送すればそれなりに視聴率も取れるだろうが、そんな予定はないし、レンタルビデオショップにも並んでいない。私が予言の存在を知ったのは小学2年生の時だった。少年向けの雑誌、テレビランドの巻頭でおどろおどろしいイラスト付で紹介されていた。いたいけな少年をそんな恐怖に陥れてどうする。臆病だった自分はその月はテレビランドではなく、競合誌のテレビマガジンを買った。
所詮予言などは言葉遊びでしかなく、後付けで幾らでもこじつけは可能である。ヒトラー率いるナチスの登場も然り。以前関連本を読んだことがある。ノストラダムスの予言は今回の1999年の件で終了しているわけでなく、2015年にスペースシャトルで宇宙へ人間が移住して行く(と解釈されている)予言も存在していると紹介されていた。
せっかくの旬だからもっと世の中も騒げば良いのに。「ノストラダムス保険」とか。けど、もし当たってしまうと保険金を受け取ることができない。渡す方も渡せないけどね。