第2075話 ■ケインズの予言と余計な仕事

 生産力の飛躍的拡大で、将来は就労時間も大幅に減って、...などと、かの経済学者ケインズが予言していた。確か、2030年頃がそのターゲットだった。週の労働時間が15時間ほどまでに削減でき、そのときに備えて余暇の有効な過ごし方を考えねばならないと思われたものの、そんな感じはしてこない。今後10年で一気に社会が変わるとは到底思えない。

 コンピューターの普及により情報が広く行き渡ることで、貧富の差などは次第になくなっていくかと思われたが、むしろ格差は広がってしまった。もっとも、これはコンピューターの影響ではフォローできない、政策的な結果だったりもするが。

 生産性が向上することで、人々の労働時間は減るどころか、資本家はもっと多くの労働者を雇い入れ、労働時間を増やそうとした。産業革命から後の資本主義発展の歴史だ。その当時はまだ需要があったので、生産活動は順調に伸びて行った。しかし、今は人口減少もあって需要が頭打ちとなっている産業も多い。経済は年々規模を拡大していくことが良いことであったり、様々な前提にされてしまっているが、そんなことはもはや期待できなくなっている。特に既に発展を終えてしまった先進国においては。

 ケインズの予言は、1940年代までに言われたことだろうから、コンピューターやネットワークの効果がどれほどそこに加味されているのかはわからない。タイミング的には、ほとんど加味されていなかったのではないかと私は推測している。では、ケインズほどの人がどうして予言を外してしまったんだろう?。それは産業構造の構成要素が予想と大きく違ってしまったからではないかと私は思っている。

 こういうことだ。ケインズがマクロ経済学を確立させた時点で、中心に据えた産業は主に工場でモノを生産するスタイルだったはず。そこでの生産性の向上を前提に考えたとする。しかし、中心産業として第3次産業が伸びていく。いわゆるホワイトカラーの台頭である。一般的にホワイトカラーの生産性は上がりにくい。そして、それ以上に余計な仕事を作り出してしまう。コンピューターの普及や能力アップもこれで帳消しになってしまい、そもそも働く側も8時間労働を前提に、終業時刻を目指して時間調整している。

 ただ、コロナ禍で会社の中を改めて見渡してみると必要なものとそうでないものが徐々に分かってきた。無駄な作業や無駄な人材。悲しいかな、経済とは余分なものを買わせて消費させることでその規模を拡大していくことに他ならない。

(秀)