僕らが小学校高学年頃から中学時代、「自転車」を趣味にするのが流行った。今のようなマウンテンバイクではなく、サイクリング車と呼ばれるカテゴリーの自転車である。赤やブルーといった派手なボディカラーとドロップハンドル、多段変速切替、それにできるだけ軽装備で、後ろのキャリア(荷台)がないなどを特徴とした自転車だ。
一口にサイクリング車と言っても、さらに細かく用途によって分けられている。まず、タイヤが細く(タイヤとチューブが一体になっていた)、前後の泥除けもない、早く走るために必要以外のものは全て省いた(中にはスタンドも)「ロードレーサー」。通称「ロード」と呼ばれていた。ただし、この車種は悪路に弱いし、荷物が積めない。それに対し、前方にバッグを積んで、タイヤも多少太く、ちょっとした遠乗り程度の車種として「ランドナー」があり、これに荷物を積むためにフレームに強度を持たせ、後方やタイヤの脇にキャリアを付けたのが「キャンピング」。また、「ロード」と「ランドナー」の中間に、「スポルティーフ」というのもあった。実用性の面では「スポルティーフ」と「ランドナー」が高い支持を受けていた。
当時我々の多くが憧れていたメーカーはブリヂストンで、そこで販売している商品ブランドに「ユーラシア」シリーズというのがあり、さらに上級ブランドとして「ダイヤモンド」シリーズというのがあった。前者は6万円台、後者は10万円クラスの価格だったと思う。商品名は「ユーラシアロード」、「ダイヤモンドランドナー」という形になる。しかし、やはり高価であるため、このクラスの自転車を持つ者は極めて少なく、周りは誰も持っていなかった。それに対し、ブリヂストンは「ロードマン」という普及車種も販売していた。4万円台の商品だったと思う。
心の中ではダイヤモンドランドナーが欲しいと思いながらも、こんな高価な自転車が買ってもらえるはずはなく、また自分の貯金もない。結局、家の隣の隣が自転車屋であり、しかもそこの取り扱いがミヤタと丸石だったため、ミヤタの「カリフォルニアロード」という自転車を買ってもらって乗っていた。メタリックブルーのランドナータイプ(ロードとは名ばかりで、ランドナーかスポルティーフしかなかった)だった。これは価格的にロードマンと競合関係にあった車種である。多くのフレームサイズのバリエーションとともに、ボディカラーの組み合わせで1つのブランドシリーズながら多くの商品を擁しているのが特徴だった。せめてミヤタなら、さらに上のグレードの「ルマン」という車種が欲しかったのだが。蛇足ながら、丸石のブランドは「エンペラー」で、「ユーラシア」と「ルマン」、「エンペラー」は同一価格帯の競合車種であったが、人気は圧倒的に「ユーラシア」だった。
当時の僕らにとって、こんなサイクリング車は大切な、しかも唯一の移動手段であり、大人が自動車を趣味にするように、僕らは自転車を趣味として楽しんだ。自転車で走るのも楽しいし、メカいじりも楽しかった。月刊誌の「サイクルスポーツ」をバイブルに、漫画「サイクル野郎」を読んで、僕らはみんな自転車での日本一周を夢見ていた。けど、今はママチャリ。ちょっと贅沢して、電動アシスト付きなのはこだわりか。
(秀)