第1088話 ■月賦

 かつての子ども達にとって、誕生日やお正月よりもビッグなイベントがあるとすれば、それは「自転車を買って貰う」ことだろう。何故ならそれは毎年やってくるわけでなく、2、3年という不定期でやってきて、しかも子どもにとっては財産的な価値が最も高い所有物の一つだったからである。今の子どもたちの場合はどうだろうか?。

 当時(20~30年くらい前)は自転車は自転車屋で買うものと決まっていた。スーパーや大きなおもちゃ屋で買うものではない。店に飾ってあった自転車がある日忽然と姿を消し、気が付けば近所の誰かが乗っている、といった具合だ。かえってスーパーなどで買おうものなら、どこで買ったかなんて恥ずかしくて言えず、「お父さんが(どこかで)買ってきた」と誤魔化すしかない。

 わが実家のとなりの隣が自転車屋で、そこのオヤジさんとうちの父親は結構仲が良かった。夏場なんか一緒に夕涼みなんかしていた。そして話の弾みで私の自転車を買う話が急に湧きおっこったりする。「ちょっと来い」と自転車に連れて行かれて、またがらされたりする。その実、うちの父親は気まぐれだ。何の前触れもなく、盛り上がってその日の内に買うの決めてしまう場合もあれば、そのときを逃すと翌日には何事もなかったように忘れてしまっている。まさに勢いだ。

 我が家が貧乏なのはその自転車屋さんも知っていて、支払条件の交渉など一切なく、全て月賦で面倒見てくれる。「月賦」である。別に信販会社を通じて決済するわけでなく、自転車屋さんが自前で利息も取らずに分割で支払いを待ってくれる時代である。逆に「現金だから安くして!」と言えた時代でもあった。実際、1台の自転車でどのくらいの儲けがあったのかは知らないが、その儲けで利息相当も賄える程度の商売スタイルだったのだろう。

 一方、我が家は自営業であったため、分割して買ったはいいが、月々の支払いというリズムに馴染まない。このため、毎月決まった頃に支払うではなく、ほとんど不定期の、ある時払いの催促なしだったような気がする。買った自転車を取りに行くと、一緒にちょっとした厚紙を渡される。それが未払いの残高証明書みたいなもんだ。都度、その紙と一緒に数千円のお金を持って自転車屋に行くと、おばちゃんがその紙に判子を押して、残高を書き換えてくれる仕組みだった。

(秀)