コラムのデパート 秀コラム

第751話 ■字幕

 今はバラエティ番組など、画面に字幕を出すテレビ番組が増えた。バラエティ番組に限って言えば、字幕を使用しない番組など皆無と言っても良かろう。単に会話を文字にしたものから、これからの展開の予想や見る側からのツッコミを文字にしたりと工夫仕切りであるが、中にはあれを煩わしいと思う人も少なくないようだ。編集するスタッフにとってはテープのつぎはぎでさえ時間に追われ、徹夜続きらしいが、その後さらにテロップを入れるとなるとその苦悩は想像に難くない。

 どんな番組でさえ文字が出てくると、悲しいかな、習性か、文字を追ってしまう。洋画のせいだ。本当は字幕なしで見られるくらいになりたいなと、会話に耳を傾けてみてもそれについていけず、一旦字幕を読み出すと映像を見るのとどっちが大事なのかわからなくなってしまいそうなときもある。そして字幕に気を取られてしまうと本来の会話や映像とのタイミングと合わないところで笑う羽目になってしまう。これは悔しい。

 一方、テレビの方ももはや字幕はバラエティ番組のものだけではない。ニュース番組などでも盛んにテロップが入る。政治家などの冗長的な発言を簡潔につまむ際などに多用される。また、カセットレコーダに光が斜めに当たり、テープが回りながら、そこに録音されている音声が字幕で紹介されるケースもよく目にする。この映像に出てくるカセットレコーダは「今時分どこにあるんだ!」とツッコミたくなるような時代遅れなものと決まっている。

 ニュースのテロップはこれ以外にも本来の「言葉がわからない」からという理由でも当然使用される。地方で起きた事件で地元住民の証言の際に使用される。特に年寄りなどの場合は必ずと言って良いほど登場する。最近話題の「看護士4人組連続殺人事件」であるが、あの舞台となった場所は私の故郷から近い。だから方言なんか全て分かる。ネイティブだ。けどちっとも嬉しくなんかない。

(秀)

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