第1846話 ■テレビをなぞるだけ

 インターネットのポータルサイトの多くが、芸能系のニュースで侵食されている。総合的な情報サイトですらそうだ。きっと、政治・経済のニュースよりも利用者の受けが良いのだろう。また、これらのコンテンツは政治・経済のコンテンツに比べて、下地や素養などがいらないから、ライターの参入障壁も低く、その結果、安価な芸能系コンテンツが日々量産されているわけだ。ただし、いずれも時間の経過とともに、ほとんど価値が残らないものばかりだ。

 テレビのワイドショーが新聞や週刊誌の記事を後追いして、それらをなぞっているだけであることに私が辟易していることは、過去に何度か書いてきた。そしてさらに、このような既存の情報をなぞるだけの動きが、ネットの情報ポータルにも跋扈するようになって、私はやや呆れている。前者はオリジナリティーがないにしても、それなりに補足の取材とかはやっているが、後者はそんな感じが一切ない。

 芸能人がやっている、ニュースショー的な番組というものがある。その番組では単なる進行だけでなく、途中で自分の考えを述べる構成になっていることが多い。それを拾って、それをネットで公開しているネット記事がある。個人がやっているようなサイトではなく、大手のポータルサイトで、である。まあ、ライター自身は前述のような事情で、ほぼ外部の個人だと思うが。

 松本人志がこう言っていた、ビートたけしがこう言っていた、という内容である。文の中身で、それが番組内での発言であることは明らかにされていて、その番組名と放送日が明示されていることがほとんどだ。これは取材というレベルのものではない、部屋でテレビを見て、あるフォーマットに従って、番組のダイジェスト記事を書いているだけだ。

 同様に、バラエティー番組でゲストが発言した内容を書いた記事というのもある。番組のスタッフが収録して、しかもわかりやすく「ここですよ、オイシイところ」という状態まで編集して、一番良いところをまんまと持って行かれてるようなもんだ。また、芸能人のブログ等をチェックして、それで記事を書いているライターもいるようだ。

 既出の情報をなぞっただけでも記事は書けてしまう。それを誤解や期待をさせるギリギリの見出しで煽る。もちろん、その見出しに番組での発言であることなど、微塵も感じさせないように、努力の様子がうかがえる。本来なら、クリックしなくてもその見出しで内容を簡潔に表現していることが、わかりやすくって良い文章のはずなのに、実際はクリックさせるような言葉になっている。

 ネットの情報はこんな感じで作られ、それを孫引きした、個人のブログなんてものがその周辺に何倍も存在している。見る方も書く方も、もっと創造的なことに時間を使うべきではなかろうか。

(秀)