第1834話 ■テレビが抱える構造的危機について

 多分私は今でもみなさんよりもかなりの時間のテレビを見ていることだろう。しかし、ほとんどは録画して、必要なものしか見ないし、申し訳ないがCMは飛ばしている。リアルタイムに点けているテレビで、ちゃんと見るのはニュースくらいしかない。基本的にダラダラとやっているワイドショーや夕方のニュース(ショー)は見ない。これらが特に面白くなく、ダラダラとやっているから。

 最近の(最近と限らないかも知れないが)テレビ番組は余計なところが多い。CMをまたいで、CMの前の部分をなぞる。ドラマの冒頭で、前回までダイジェストを流す(ドラマの視聴率が低下している最近特に増えた)。バラエティーやワイドショーなどで、情報を紹介する際に、わざわざクイズ形式にする。場合によってはそのまま、答の発表がCMのまたぎになる。また、答が分からない場合に、出演者が何かしらボケることが多いが、決まってそれらは面白く無い。決まって私はそのタイミングで、チャンネルを変える。

 あのリズム感が本当に視聴者に受け入れられているのだろうか?。私がせっかちであることを多少斟酌しても、あまりにも冗長すぎやしないか?!。情報を伝えるだけなら、ほんの数分で終わるようなことをエネルギーを掛けて引っ張って、その挙句に期待したほどの満足感は得られない。そして、真剣に注目して見ていたら、番組内での宣伝と知って、興ざめしてしまう。

 以前、この様なテレビが面白くなくなった理由を分析するにあたって、テレビの面白さを知らない人々が番組を作っていると書いた。テレビの創世記にはいろいろな才能が切磋琢磨し、手探りで番組を作っていた(らしい)。学歴など関係ない。多士済々。その勢いがある時代の番組を私たちは見て育った。それがやがて、テレビ局でも学歴を重視して採用するようになった。テレビを見る時間をも惜しんで勉強してやっとテレビ局に就職した人が、面白い番組などできるはずもない。

 かつては、昼間にテレビの放送はなかった。昔の新聞のテレビ欄を見ると、ラジオの番組欄がメインで、テレビ欄は今で言えば、BSチャンネル程度の扱い。今で言えば、午後のワイドショーの時間は番組の放送がない。画面は砂の嵐で、夕方の放送再開に近づくと、「間もなく放送が始まります」といった感じの字幕が表示されれていた。それがいつの間にか、ほぼ24時間番組を垂れ流す形になってしまっている。明け方には、地上波でもテレビショッピングをやっている。

 総じて、世の中に情報が溢れ、テレビのワイドショーなどで紹介している情報も独自に取材したものではなく、新聞や週刊誌の記事をなぞっただけで、オリジナリティーがない。また、「衝撃映像」なる番組は、単に買ってきた映像を流して、ワイプと言われる小窓でそれを見た出演者の反応を見せるだけである。これもオリジナリティーの欠片もない。どこか、別の番組で見たことがある映像であったり、その後の展開が予想通りだったりすることも多い。

 録画してまで見たいと思うもの以外は、見るに値しないと決めている。点いているからと、ダラダラとテレビを見るようなことは極力止めた。「タイムシフトマシン」という便利な機能で、録画の指定をしなくても、自動的に全部のチャンネルの番組が録画されていて、1週間以内くらいであれば、遡って視聴できている。自分がやや特殊な環境下にあるのは重々承知しているが、大多数のそうでない人がテレビを見なくなっている。それなのに、視聴率なんて虚像に惑わされているから、テレビは相変わらずなのだろう。

(秀)