過去が未来を作っているのではなく、未来が過去を作り出している、という表現は非常にパラドックス的だが、本の中でそう説明されると、それを否定することが難しく思えてくるから不思議だ。むしろ、現にその本に書かれていることが次々と連続して起きるからには、それを偶然と片付けてしまうにはもはや難しくなってしまった。
そこで一気にタイムマシン探しが始まる。テレビでは何の専門か分からない、これまで日が当たらなかったような研究者が盛んにタイムマシンのメカニズムについて説明しているが、一般人にはさっぱり分からない。肝心な、「それで今すぐタイムマシンができるのか?」という問いに対して明確な答えを示せるものはほとんどいない。そうするうちに科学者同士で論争が始まるに至ったが、誰の理論が正しかろうと、彼らの手でタイムマシンを作り上げることが無理なのは一般人にも分かった。そんな論争をやっている暇があったら、さっさと作ってみろ!、というわけだ。タイムマシン開発中という噂で会社の株価を吊り上げようとする輩も現れた。
そして歴史研究家の中では、未来からやってきたタイムマシンがこれまでの歴史のいずれかでその足跡を残していないかを研究し、論じるようになった。UFOがそうだとか、イエスキリストは未来からやって来ていた、卑近なところでは日本でも聖徳太子がそうだったとかかなり突飛な説も出るに及んだが、いずれも想像の域を出ていない。
そしてついに、世界を驚かせる、ビッグニュースが世界中を駆け巡った。タイムマシンのメカニズムというべきものが発見されたというものだ。発明ではなく発見というところが気になるが、それには意味があった。かのアルバート・アインシュタインの遺品の中から約4000ページに及ぶ未発表原稿が発見されたというものだった。「相対的時次空間原理」というタイトルのみで人々の心は躍った。しかし、この理論を正しく理解できる人間が世界中に何人もいるはずもない。はたしてこれがタイムマシンのメカニズムそのものなのか、また、その原理とやらを実現するための機械、すなわちタイムマシンを具体化できるかとなると、その判断だけでも、相当の時間を要することだろう。
– – この話はフィクションです。- –
(秀)