いくつかの行きつけの古本屋があり、その中の一つで時間つぶしのために本を買い求める事にした。その本屋は本当にこれでやっていけるのかと心配になるほど客が少ない。確かに小さい店であるが他の客と居合わせたことが一度もない。住居を改造して店にしたであろう店先には「我輩は古本屋である」と看板代わりに書かれている。あまり売れ筋などには拘らず、漱石などの教科書で習った名前や題名の文庫本などを置いているところが嬉しい。
そこで「萩原朔太郎詩集」という文庫本を見つけた。外観はかなり日に焼けていて開いた本の縁が茶色くなっている。目次を次々とめくり、ある詩を探してみる。そのタイトルは「旅上」。中学校の国語の授業で習ったそれである。高校の国語の授業中に先生がこの詩をそらんじて、「これは誰の詩ですか?」と尋ねた。「萩原朔太郎」。真っ先に一番早く私はそう答えた。私が知っている唯一の彼の詩である。
「ふらんすへ行きたしと思へども」と始まり、「ふらんすはあまりに遠し」と続く。フランスではなく、仏蘭西でもない。もしこれがフランスだったら、私はこれほど気には留めていなかったかもしれない。音としては同じであるが、文字の持つ意味、雰囲気は大きいと改めて思う。「せめては新しき背広をきて気ままなる旅にいでてみん」と誘いかけ、日常からの脱却を訴えている。後半に向けて、何となくそわそわとする開放感が感じられる。
石川啄木のようにメジャーではなく、教科書に載っていたところで、すぐに忘れてしまいそうなポジションだ。私も前述の通りこの詩しか知らない。この詩が載っているのを確認し、この本を買い求めた。100円。その日から寝る前に無造作にページを開いてみては、そこに書かれている一編の詩を読んで寝ることにしている。
(秀)