<前話より続き>
恋をし始めた時、新しい人を好きになった時、実際に会っている時間よりも、離れている時間の方が長いに違いない。しかし、その間にも相手のことをいろいろと思い、あなたの心の中には相手のイメージが棲みついていることだろう。しかもそのイメージは現実よりもかなり美化されている。そのあまりの美化のために会う度にちょっとがっかりしたりすることもあろうが、また会えない時間にそのイメージは修復され、さらに育って行く。まるで、郷ひろみの「よろしく哀愁」のように。
スカイラインとはそんな車なんだよ。これまでにも何度かモデルチェンジのタイミングで、スカイラインフリークの間に不満の声が出るようなものもあった。ジャパン(6代目)は廃ガス規制でおとなしいマシンになってしまった。7代目はラグジャリー仕様で走りがおろそかになったとか、8代目では直列6気筒を捨て、これまた不満が出た。新しいところでは、先々代が大型化して評判が悪かった。
おしなべてモデルチェンジする度にいろいろと文句の出る車だった。しかし、それは不人気車だからではなく、愛するが故の声、エールである。それはそれぞれの心の中にイメージ化されたスカイラインがあるためだ。ある人には箱スカだろうし、ケンメリかもしれない。私にはやっぱり、ジャパンだけれども、ケンメリや鉄火面のイメージもある。彼らに「新型スカイラインをデザインしろ」と言うと、それぞれのイメージを元に絵を描くだろう。そして、それらの多くは他人の目にも、「スカイライン」と分かるはずである。
私がジャパンと言うのは、それが私が最初に買った車だからだ。初恋の人の消息はちょっと気になる。それが、新型発表のニュースとして伝わって来る。それはどこか昔の面影を引きずっていて欲しい。例えば丸いテールランプだったり。ハートもそのまま直列6気筒であって欲しいとか。久しぶりに同窓会で会ったときの彼女(彼)はとても変わってしまっていた。どうもかつての面影がない。性格も変わってしまっているようだ。彼女の名を語りながら、実は全くの別人の様な気がする。一方的なわがままと言われようとも、スカイラインとはそういう車なんだよ。
(秀)