最近、卒業式で「仰げば尊し」を歌わない学校が増えた。「蛍の光」も歌わず、歌詞のない音楽だけではデパートの閉店の雰囲気になって、残った惣菜を目掛けて走り出しそうになってしまうではないか!。私の場合は、中学校では「仰げば尊し」を歌ったような気がする。確か、「仰げば尊し」から「蛍の光」へのメドレーだったはず。あまりはっきりとそのシーンを覚えているわけではないが、音楽の時間にこの曲を教わり、間違った歌詞の説明を受けたことはよく覚えている。
「今こそ別れめ」を「別れ目」。「こそ」は強調で、「今まさに別れのときがやってきました」と教わった。この音楽教師はその前の数年間も、そしておそらくそのときから後の数年間もこの間違った歌詞の意味を生徒に教えていたかもしれない。まったく困ったものだ。これを文法的に正しく説明してもらったのは高校の国語の授業であり、「係り結び」の例として登場した。
文語体で「こそ」に対して動詞の已然形に結び、特に意味を強調したいときの文法的テクニックだ。「別れめ」は「別れむ」の已然形となる。「別れましょう」という意味が正しい。文語体の歌詞の割りには作詞者は分からず、曲はスコットランド民謡らしい。これには驚いた。そう言えば、「蛍の光」も曲はスコットランド民謡だった。
ひょっとしたら文部省唱歌から消されてしまったのだろうか?。今度確認してみよう。教師側が生徒達に自分たちの恩を押し売りするような歌を歌わせることに抵抗を感じるようになったから歌われなくなったのか?。ある学校ではそういう理由で歌わなくなったというのを読んだ記憶がある。変わって、今は今なりの卒業式ソングが存在する。タイトルは忘れたが、自分たちの旅立ちを歌詞にした曲を近くの小学校でも中学校でも歌っている。美しい歌声に式としての雰囲気は保たれているが、父兄の参列者としては知らない曲だ。定番の曲が流れないとちょっと寂しい。
愛国心だが何だかで、国歌でもめるぐらいなら、師への恩に感謝することが道徳的には何倍も有効である。「今こそ別れめ いざさらば」。この歌詞とともに流れ出る涙は美しかった。
(秀)