第306話 ■いじめについて
- 2000.07.17
- コラム
どこからがいじめなのか、なかなか線引きは難しいが、多少のいたずらの類はどこの学校にもあるだろう。いじめる側に話を聞くと必ず、「いじめられる側にも問題がある」と言う。実はこの言葉には私も覚えがある。しかし、それがいじめを肯定する理由としては何の正当性もない。所詮、こんな理由は後付けでしかない。動機は「おもしろいから」と「自らを守るため」ということに行き着くだろう。「おもしろい」というのは単にその行為がおもしろい場合もあるし、結果として金銭を得られることも含めてそう言っている場合もある。「自らを守るため」というのは、「いじめる仲間に加わらないと、自分もいじめられるから」ということである。
いじめというのは極めて犯罪意識が低い悪事である。みんなでやっていること、相手の苦痛が分からないこと、それに「いじめられる側にも問題がある」という言い訳がその原因であろう。こういう例え話が的確かどうか分からないが、いじめられている側の追い詰められている状況は本人にしか分からないと思う。多重債務に追われて毎日毎日が金策と借金取りの取り立てで疲弊している人のように。言葉や文字で表現できても、その苦痛は本人にしか分からない。
わずか1,000字足らずの文章でいじめ根絶の方法を論じることは出来ないし、その解答を持ち合わせているわけでもないが、1つだけ提案をしたい。子供を持つ親の心理として「自分の子供がいじめられてはいないだろうか?」と思うことはごく当然のことである。「もしその時はどんなことをして子供を守れるか?」と思うこともある。しかし、ほとんどの人は自分の子供が加害者になることを想定して心配をすることがない。いじめの構図からすれば、被害者の数倍加害者が存在するはずである。発想を転換させることも我が子がいじめられっ子にならない有効な手段となり得ると思うのだが。
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