道具はすぐに使える状態にないと、それだけで使用する機会が減ってしまう。準備に時間が掛かってしまうとそれだけで気持ちが萎えてしまう。パソコンもすぐに使いたい。だから起動が速いマシンを選ぶし、それが待てない場合は、即画面が表示されるタブレットを使用する。そういう性格だから、先進的だと思って始めた電子書籍での読書だが、現時点ではあまり快適な状況にない。最初の動機が、収納場所に困った蔵書を何とかしたいと思って始めたわけで、その意味においては、書籍は切って捨ててしまった一方、その内容がファイルとなってサーバーに収まっている点については満足している。

 しかし、すぐに読みたい本を手に取って、ペラペラと中身を確認するのに手間が掛かる。サーバーからタブレットに書籍データのファイルをダウンロードする。少々ここで待たされる。実際に開いてみて、探している本と違っていたら、また書籍ファイルのダウンロードを繰り返すことになる。流石にこれが3回続くと、一気に気分が萎える。本棚から書籍を手に取り、違っていたら、次の本へと手を伸ばす。なかなか探し出せない状態が続けばイライラも多少するだろうが、最も簡単で確実な方法はこれだ。

 もし、好きなだけ本を買うことができて、読み終わった本をそのまま書架に並べられるようなスペースがあったとしたら、「自炊」と呼ばれる方法で、蔵書をPDFファイルにしてやろうなんて思わなかっただろう。それなりに時間も掛かることだし。高々千冊強の蔵書データファイル。一度読んだ本で再度取り出して読もうと思うほどの本はほとんどない。また、とりあえず買って(この場合は古本が多いのだが)、なかなか読めず(読まず)に置き場所に困って、PDFファイルにしてしまったものも結構あるが、そこから読んだ本は極めて少ない。

 読んだ本を捨てたり、売り払うのは、読んだ本の記憶ごと捨ててしまっているような気がして怖い。かと言って、そのまま蔵書を増やしていくわけにもいかず、その対策として、PDFファイル化を始めた。とりあえず取り出せないことはないが、すぐに取り出すにはやや面倒な状態。不思議とその本に関する記憶も取り出しにくく思えるようになったのは、気のせいか。

 将来的には、PDFファイルや電子書籍の閲覧方法も強力な蔵書の管理システムや中身までの検索機能で大きく改善されるかもしれないが、現時点ではどうしても紙の本には敵わない。画面をなぞる指の感覚よりもページを捲る際の指の感触の方が心地よい。何よりも全体のどれくらい読んだかな、というのが左右に分けられたページの具合で把握できるのが嬉しい。置き場所の問題と持ち運びの点において、ファイルとなった書籍は圧倒的に便利であるが、タブレットで読んでも文字が頭の中になかなか入っていかない。自分で電子書籍を幾つか出しておきながらも、以上が現時点での偽らざる心情。

(秀)