第1024話 ■ゲームウォッチ

 小学生、とりわけ男の子における任天堂「ゲームボーイ」の普及率と言ったらめざましい。ほとんど100%に近い確率で持っているのではなかろうか?。仮に持っていない子がいたとしても、世代ごとに買って、複数台所有している子もいるから、平均するとすごいことになるかも。うちの長男だって、3世代3台持っている。据え置き型のテレビゲームとなるとプレイステーションのがんばりにより、任天堂が主役と言うわけではないが、携帯用ゲーム機の分野ではまさに敵無しの独壇場である。

 その携帯用ゲーム機の祖と言うべき、「ゲームウォッチ」について話をしよう。私の記憶が確かであれば、それが登場したのは私が小学6年生のときで、昭和53年のことだったと思う。文庫本をもう一回り小さくしたくらいの大きさで、マッチ箱くらいの大きさのモノクロ液晶ディスプレイが付いていた。ソフトの入れ替えはできず、ゲーム機それぞれが1つのゲームを持っている。最終的に何種類のゲームが出たのかはあいにく知らないが、当初は「ファイヤー」と「もぐらたたき」が登場し、私達もそれで遊んだ。

 「ファイヤー」とはビル火災の状態で次々とビルから人が飛び降りてくる(落ちてくる)。それを担架を持った人間を左右に動かしながら、落ちてくる人をキャッチして助けるゲーム。落としてしまうと、その人は死亡し、3人失敗するとゲームオーバーになる。もちろん、ゲームが進むにつれて人の落ちてくる間隔は短くなって、難易度は上がっていく。しかし、操作は単純で、画面の左右に配された一対のボタンで担架を持った二人組みの人間を左右に動かすだけ。しかも、それが無段階に動くわけではなく、中心から左右に2つか3つぐらいの決められた場所にしか動かないし、そこにしか落ちても来ない。

 「もぐらたたき」はご存知のとおり、例のもぐらたたきゲームを液晶画面で表現したもの。これまた、左右のみの動作で移動し、もぐらを叩く。「ファイヤー」も含めて単純なだけに熱中しやすいが、それ故すぐに飽きも来てしまう。自分で買ってまでもという気持ちにはとうとうなれず、私は友達のを借りて過ごした。買って持っている友達は買った当初、連日何度も繰り返し遊び、飽きた頃に我々のところにも回ってきて、しかも上手い具合に違うゲームがまわって来る。

 「皆が持っているから自分も欲しい」という性質のものではなかったが、LSIゲームの先駆者としてゲームウォッチが果たした役割は大きい。その後、似たような携帯ゲーム機が他のメーカーからも登場するに至ったが、その頃にはもう、任天堂は「ファミリーコンピュータ」という大ヒットを送り出し、子供たちを今度はテレビに釘付けにした。そしてまたしばらくの後に、携帯ゲーム機の分野でも「ゲームボーイ」という大ヒットを生む。

 「ゲームウォッチ」はその名のとおり、ゲームに時計が付いたものだった。ゲームをしないときはゲームのデモの画面に時刻が表示された。この機能はたいしてうれしくなかったが、「単なるおもちゃだけではありませんよ」という親達に向けて子供たちが訴える精一杯のエクスキューズのための機能だったと思う。

(秀)