第1163話 ■わらび餅屋

 この季節、チリンチリンと鐘を鳴らしながら、リヤカーを引いて、そのおじさんは現れた。麦わら帽子を被り、暑い中を黙々と重いリヤカーを引きながら、一日にいったいどれくらい歩くのだろうか?。30年程前の私の地元での話である。鐘の音が聞こえると、子どもだった私は窓から顔を出し、そのわらび餅屋の現在地を確認して家を飛び出した。

 「おじちゃん、30円」。するとおじさんはにっこり笑って、リヤカーに積んだ保冷庫の蓋を開け、そこからわらび餅をすくい出す。その保冷庫には大きな氷が入っていて、そこに無数のわらび餅が転がっていた。すくい出されたわらび餅は蓋を開けた隣のきな粉のトレイに移され、かき回してきな粉をまぶし、網ですくい盛り付けられる。盛り付ける器は船の形をしたもなかである。最後に器まで食べられるのが子ども心にはとても嬉しい。これがもう少し高額なオーダーとなると刺身なんかを載せる発泡スチロールの皿になる。これは食べられないから子どもにはちょっとつらい。

 目の前で見せられるおじさんの一連の動作がまた楽しい。一人の分が終わる頃にまた別の子どもが現れる。先に受け取った子どもはわらび餅を一つずつ楊枝で口に運びながら、おじさんの動作を眺め、盛り付けられる頃には自分のときの量と過不足がないかを比べてみる。

 このおじさんはおつりをくれるときに「はい、20万円」と言う。オヤジギャグだが子どもには受ける。夏はこうして毎日わらび餅を売り歩き、この季節だけで1年分を稼げれば良いだろうが、子ども相手の単価の安い商売のためそうもいかない。冬には同じくチリンチリンと鐘を鳴らしながら焼きいもを売り歩いていた。

(秀)