第131話 ■有は無である

 オウム真理教の被害者となった当時大学生の遺族の妹が千葉の自宅から何者かに拉致され、名古屋で解放されるという事件が最近起きたが、この女性の供述内容には曖昧な部分が多く、実はこの女性の狂言であったことが判明した。「クロロホルムのような匂いの薬品を嗅がされて・・・」。普通の人間はクロロホルムの匂いなんて知らないはずだ(薬学部の学生だったかな?)。動機は「オウムが憎かったから」と伝えられているが、そんな復讐の方法もあるんだなと不謹慎ながら妙に感心してしまった。

 最初に今回の事件が報道された時にオウムが記者会見を開いたが、会場にいる記者や視聴者のほぼ全部が「オウムがやったに違いない」ときっと思ったことだろう。「私達は関係ない」、「こんなことをして私達にいったいどんな得があると言うんですか?」と釈明する例の広報副部長に対し、「お前達には遺族の気持ちが分からないのか」という論調で報道する媒体もあった。警察発表を鵜呑みにするからいつも彼らはそうなんだ。確かに私もあのときはそう思ったけど。この女性が以前、大学のエレベータでオウムらしい男性に「裁判を取り下げろ」と脅かされたのも嘘だったらしい。

 結構、世の中ってこんなもんかもしれない。「ある」と「ない」の差は曖昧で気持ちの差かもしれない。デカルトが「小論理」という本の中でこんなことを書いている。「有は無である」と。デジタルの世界に当てはめると、「1=0」という、これまた難しい話である。有というものを無媒介で表現することはできず、色も形もない、もちろん概念というものもない。このような状態では有と無を区別することができない、という意味の内容だったと思う。有ると思っていることは無いのと同じである、とも言える。有名な「我思う、故に我あり」という言葉が出る前の話である。

 ついでを言うと、ホームページで子供の虐待日記を公開していたとされる事件も作り話だった。ますます、事実と虚偽の境が曖昧になり、なんか慣らされてしまいそうで怖い。「キャーッ!、この人痴漢です」。電車から引きずり降ろされていく男を見て、電車の中でその女性が不敵な笑みを浮かべているかもしれない。そんな復讐(嫌がらせ)もあり得るんだ。触ったかどうかはデカルトにも分かるまい。