第183話 ■こんなテレビを見ていた
「昔どんなテレビを見ていたかな?」と、昭和40年代後半から50年頃の番組を思い出してみることにした。最初は日曜日の午後から。
「大正テレビ寄席」。大正製薬提供の演芸番組である。昔は結構露骨なスポンサーが多かった。幕間では司会の牧伸二が「あ~あ、やんなっちゃった」とウクレレで歌ったり、バカボンパパのような格好で、オークション形式のバーゲンセールというのをやっていた。それが終わると、「グリコ がっちり買いましょう」。漫才の夢路いとし、喜味こいしの司会で、ゲームは「10万円、7万円、5万円、運命の分かれ道」という決まり文句で始まる。値札の付いていない商品を自分達で値段を予想し、制限枠で買い物をする単純なルールである。出場するのは3チームで制限枠は前半のゲームの出来で決められる。クリアすれば、選んだ商品が全て貰える。画面には実際の金額がテロップで表示されるため、画面に向かって、「(もう)買うな、買うな」と言いながら、見ていたようだ。
それからしばらくして、「ヤングOH!OH!」へと流れ、いつのまにか夕方である。「笑点」が点いている場合はそれを見ていた。もちろん当時の司会者は三波伸介である。6時からは「いなかっぺ大将」、「ガッチャマン」が放送されていた。サザエさんを経ての7時からのフジテレビの枠は「マジンガーZ」シリーズが数年間占拠していた。一方、裏番組では日テレが「びっくり日本新記録」をやっていた。フジではその後、「ハウス名作劇場」であるが、その当時は「カルピス名作劇場」だったと思う。ちょうど、「アルプスの少女ハイジ」や「フランダースの犬」をやっていた頃である。ただ、名作劇場を見ることはなく、親の都合で「すばらしい世界旅行」を見ることが多かった。久米明氏の独特のナレーションと「この木なんの木」の歌が非常に印象深いが、こんな原住民の生活のどこが「すばらしい」んだ、といつも疑問に思っていた。同じくこの時間帯の裏に後になって「クイズ ヒントでピント」というのが登場するが、この時期は同じ象印の提供でものまね番組をやっていた。「象印賞」という言葉はこの頃からあったわけだ。
8時からはチャンネルを日テレ系に切替え、青春シリーズ。「われら青春」や「飛び出せ青春」を見る。昭和50年からは「俺たちの旅」の放送が始まっている。9時台はどうしても思い出せないが、「東芝日曜劇場」は不動である。10時を過ぎると眠くなって来るのだが、それでも「ラブラブショー」と「パンチDEデート」はなんとか見ていた。
こうして見ると、昔はスポンサーの冠が付いた番組が多かった。番組に冠までは付けなくても単独スポンサーのものが多く、その情報も番組とセットで記憶に刷り込まれている。最近ではサザエさんも東芝の単独スポンサーではなくなってしまった。
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