第284話 ■債権放棄

 いったい、そんな無駄遣いがどうやったらできるんだと聞きたい。千億円規模で負債があり、そのうちのいくらかの負債を棒引きにして欲しいなどと言っている。このくらい金額が大きくなってしまうと保険金や私財で、という訳にもいかない。かえって実感できる金額でないから良いのだろうか?。これでは「ひゃくおくまんえん」などと言っている、小さな子供と同じくらいアンポンタンとしか言い様がない。貸した方も借りた方も所詮、他人の金だから気が楽なのであろう。

 債権者が債権放棄を引き受ける理由は、「このままでは全額未回収になるかもしれないが、とりあえず半分でも取れるならそれでも良い」といった具合である。これにより政府の税収は減少するだけでなく、公的資金の名の下に税金がつぎ込まれる。「過去に例があるのか?」、「よそはどうなんだ?」、「ところで、君はどう思うんだ?」。それでいて彼ら銀行員達は依然高給取りである。金融機関や大手企業は社会的な影響が大きいから、易々と潰すことができないとの説明もある。衆知の通り、同じようなことを個人が頼んでも聞いてくれるはずもない。恐いお兄さんに連日付きまとわれることになるだけだ。

 歴史的に見て、大幅な債権放棄が「徳政令」や「棄捐きえん令」の名の下に幾度となく実施されている。注目すべきはそのときの債務者のほとんどが大名や幕府であったことだ。自分達でさんざん借金し、首が回らなくなったので自分達がルールを作って世の借金をなくしてしまったのである。しかし、ここから出て来る教訓として、これにより権力者の力は大きく失墜し、倒幕などへと繋がっている。ましてや今は通貨の金銭的価値は金などの裏付けがないまま政府の信用のみで動いているため、債権どころか手持ちの有価証券までも全て紙屑となってしまうであろう。

 落語のネタにこんな話がある。舞台は江戸時代。旅人が一夜の宿を求める。「これは、これは、ようこそいらっしゃいました。私はこの宿の主人でございます。ところでお客様、最近このあたりでも何かと物騒なことが起きております。貴重品などは手前供にお預け頂きますよう、御願いいたします」。しばらくしてまた主人がこの部屋やって来る。「お客様。先程徳政の御触れが出ました。これで先程お預かりしたお金を返さなくても良くなりました。すいません、ご了承下さい。何せ徳政の御触れですから」。「よし、分かった。そしたら私が借りているこの宿も返さなくて良いんだな?」。お後がよろしいようで。