第521話 ■片付けの奥義

 片付けの奥義はモノを捨てることに帰結する。こっちにあるモノをあっちに動かしただけでは増えたモノは納まらない。奥様向けの番組で盛んに放送されている「収納術」の達人が如何に上手くしまい込んでくれたにしても、単に押し込んだだけにしか見えず、取り出し難くなってしまっては元も子もない。たとえ上手く押し込むことができても、いずれキャパシティを超えてしまうのは時間の問題。その度毎に広い家に引っ越し続けるわけにもいかない。ましてやはなから広い家に住むほどの甲斐性もない。結果、如何に捨てるかが、片付けのポイントである。

 まず、本や雑誌が増える。読み終えて気に入った本は、いずれまた読み返そうと取っておくが、そんなことはまずあり得ない。雑誌も必要なページだけ破り取って保管してみるも、それが必要となることもあまりなかった。あるパソコン雑誌では雑誌をスキャナで読み取ってデジタルデータとして保管することを薦めていたが、所詮スキャナを売りたいスポンサーのための提灯記事でしかなかった様だ。この手の作業はデータを取り込んでいることで妙な満足感が出てきて良くない。呼び出すことのないデータをせっせと詰め込んで、結局は時間の無駄なだけだったりする。

 結果としては、「捨てる」と「残す」しかないはずが、分別に迷うモノも出てくるし、その中間に、また幾つかのランクができてしまう。「いざ」というときのために取っておきたくなるが、はたして、「いざ」というのがどんなときかが今いち曖昧であるし、第一そんな、「いざ」というときなどやってきた覚えがない。

 興が乗ってくると、モノを捨てることはモノを買うことに相当する快感となる。いや、モノを買うこと以上に楽しくなることもある。何故これほどの快感が得られるかを考えてみた。1つは、過去の忌々しい記憶との決別であろう。そしてもう1つは、あれこれと迷わずに一気に捨ててしまうために、脳が快感を与えているような気がする。そのややハイになった状態で一気に捨ててしまうのが良いかもしれない。捨ててしまっても、まあ何とかなることは結構多かったりする。

(秀)