第572話 ■「靖国」って何だろう?(2)

 私が持っている年表の本に「東条英機などA級戦犯14人がひそかに靖国神社に合祀されていた事が判明(昭和54年4月19日)」との文字が記されている。詳細は分からなかったが、その表現から姑息さが漂っている。先日、とあるテレビ番組でこの顛末を知ったが、やはり姑息と言うか、責任を曖昧にした結果であった。当時の厚生省は「靖国神社側の要請に基づき、戦没者の名簿を出しただけ。祭神として、合祀するかどうかは神社の判断」。一方、靖国神社は「政府の意向による名簿の内容だと理解した(政府が暗に要請したのでは)」と言っている。

 この事件の前に政府はA級戦犯に対しても犯罪人としての扱いではなく、「法務死」という形で、恩給を与えることにしていた。懸案の名簿の提出から実際に合祀が行われたのは8年後のことである。戦前の慣例に基づき、合祀は宮内庁に対し、事前に報告をされていたらしい。

 合祀したのがダメなら、元に戻してしまえという話もある。「分祀」というものだ。これは同じ祭神(例えば、日本武尊)を祀る神社が全国各地にあるが、これはその元となる神社から祭神を分祀したものである。だからと言って、元の神社から祭神が消えたりはしない。要はのれん分け。コンピュータのコマンドのコピーと同じである。コピーしても劣化しない。意外や神様はデジタルなのらしい。神社が祭神を消すことなど考えられないから、一旦神様になってしまうとその地位は永遠なのである。

 となると、分祀というやり方でA級戦犯の霊を靖国神社の祭神から取り去ることはできない。A級戦犯の合祀がクローズアップされているが、それはたまたま具体的で見えやすい問題なだけでしかない。A級戦犯が合祀されていなくても、公式参拝に対する反対派や中国、韓国の憂慮は残るはず。ことの本質はもっと根深いものだと思う。

<さらにつづく>

(秀)