第574話 ■チャリティ

 今年も日本テレビの24時間テレビが放送された。私が小学6年生のときから毎年放送されているので、今年で24回目だと思う。最初の頃は欽ちゃんの司会にピンクレディ、そして夜が明けて日曜日の午前は手塚治虫氏のアニメというのが繰り返されていたが、数年後にはそのスタイルも崩れ、やがて私は最初の頃のように熱中してこの番組を見ることはやめてしまった。

 恥ずかしながら、私はこの間、1円もこの番組に寄付をしたことはない。チャリティの意義やボランティアの大切さについては、青少年赤十字での活動経験もあり、少なからず心得ているつもりの私だ。しかし、寄付をしないのにはそれなりの理由がある。まず、募金を持って武道館なりにやって来る人が本当に純粋にチャリティの気持ちを持っているのか?、という疑問である。今年なら、「モー娘。」見たさに(わざわざ一円や五円に崩してまで)募金を持って武道館に現れる人が少なからずいたに違いない。要は視聴率と募金額のためのキャスティングでしかない。それに何で研ナオコが24時間走ったり、ガッツ石松がまたボクシングをしなければならないのか?。感動を募金に替えようとする、局側の目論見が気に入らない。

 それと何より、初回の放送のグランドフィナーレの際に、大橋巨泉が次のようなことを話した。細かな言い回しは今回ある本からの引用で再構成してみたが、この様な台詞を聞いたのは覚えているし、小学生の私もその主張には大きく納得した。そのときの言葉が今も私の中に生きている。

 「たしかに、人々の善意でこれだけのお金が集まりました。しかし(とカメラに指を突き出して)テレビを見ている政治家の皆さん、自民党の皆さん、これは本当はあなた方がやるべきことが不充分だから、私たちがやったのですよ。本来はからだの不自由な人への援助は政府が充分にやるべきなのですよ。国家予算の福祉に当てられるべき金額が、よそにまわされているから、こうやって一円玉を集めなければならなかったのです。政治家の皆さん、この番組を見ていたら、それをもう一度考えて下さい」(出典:景山民夫著 「極楽TV」)。

 研ナオコが走ったり、ガッツ石松がリングに上がるよりも、彼らが政治家や関係省庁を回って、福祉予算を増やすための活動をやっている様子をテレビで流すべきだ。福祉がどれほど不十分であるかをテレビで流すべきである。そしたら私は今までの分も含めて寄付をするつもりだ。タレント議員よ、こんなときこそ芸能人の先頭に立って働け!。

(秀)