第601話 ■オスカー・バルナック

 35ミリフィルムのカメラを初めて作ったのはドイツのライツ社(現ライカ社)であった。そもそも、これは映画用のフィルムである。このフィルムの2コマ分を使い、24ミリ×36ミリのフィルムサイズカメラを作ったのが同社のオスカー・バルナックであった。これにより35ミリフィルムの規格を「ライカ判」とも言う。そして、画面サイズだけでなく、パトローネと呼ばれる35ミリフィルムの缶詰の規格も誕生する。本来長い映画用のフィルムを切って使用しようと、彼の机の上にあった顕微鏡のレンズケース(缶)のサイズがちょうど良く、それを元にデザインした、と言われている。もちろん、フィルムは暗室でパトローネに詰めなければならない。最初の試作機には50枚のカウンターが付いていたらしい。

 この試作から、そろそろ90年近く経つ。その後、量産機を出し、彼がデザインしたカメラは本来「L型」というシリーズ名を持ちながらも、彼の名にちなんで「バルナック型カメラ」とも呼ばれ、多くの人々の垂涎の的となり、現存の(あるいは消えてなくなってしまった)カメラメーカーにも大きな影響を与えた。「ライカ1台で一軒家が買える」と言われた時代である。更に時代は下り、ライツ社は「M型」をリリースし、技術的にも最先端を極めた。しかし、そのせいで一眼レフカメラの開発が遅れ、何度かの経営危機を経て、現状はごく一部のマニア向けのカメラメーカーになってしまった。そのマニアにも「M3が最高」と、もはや50年近く前にリリースされたマシンが技術的に最も素晴らしかったと評される始末。盛者必衰。

 経営危機や生産拠点がドイツを離れたあたりから良くない。高級機は維持するものの、コンパクトカメラなんかも作るようになってしまった。かつて心震えた「Leica」のロゴが付こうとレンズに「エルマー」という往年のブランド名を付けても、写りはそこそこのコンパクトカメラでしかない。そして、こともあろうかライカ判と言う名を持つ35ミリカメラの始祖でありながら、APS規格のカメラまで作ってしまった(作ったのは他社でライカの名前で出しただけだろうが)。

 そしてとうとう、デジカメにも進出してきた。最初は数年前の富士フィルムとの共作。そして今度は松下との共作である。ライカブランドのコンパクトカメラを松下が生産していた伏線はあったが、ライカにはもはや独力でデジカメを作る力もないのか?。間もなく発売されるそのカメラには「ズミクロン」レンズが付いている。ズミクロンというにはライカファンにとって、まさに魔性のレンズブランド名である。

 ライカの命はそのファインダーにある。しかしデジカメではそれよりも液晶画面の方が重要であろう。ズミクロンレンズも画像編集ソフトの使用を考えれば、あまり重要ではないはず。そもそもズミクロンを名乗るに値するかも疑問。何故ならズミクロンならそれだけで軽く10万円を超えてしまうだろうが、このカメラはレンズ付きで9万円前後。ライカ社の凋落と転身ぶりを嘆きながらも、自分自身、ズミクロンレンズ付きのデジカメには心が動いてしまうところが悲しい。神様オスカー・バルナックは草場の陰でこの状況をどう思っているのだろうか?。

(秀)