第920話 ■餅
- 2003.01.10
- コラム
居間には石油ストーブがあり、その上にはやかんが載っている。そう言えば、昔はそのおかげで加湿器など存在しなかった。このやかんをどかして、金網を載せ、餅を焼いたもんだ。ところが最近は夜食に餅を焼いて食べようなんて気がそもそも起きない。エアコンの送風口に餅をかざしてみても、もちろん柔らかくなんかなんない。石油ファンヒーターの上は餅どころか、やかんすら載せても意味がなくなった。まあ、私よりも幾分年配の人は石油ストーブではなく、火鉢で餅を焼いたのではなかろうか?。
今ではかわりに電子レンジやオーブンレンジでチンすることになるが、ガラス越しにそれが膨れても情緒がなさ過ぎる。年賀状などにイラストで描いた、あの膨れ上がった餅はストーブなりで焼いているものだ。オーブンなどのようにすぐに焼きあがってはいけない。ゆっくりゆっくりと時間を掛けて膨れていくのを、焦げていくのを見ているのが面白かった。
正月が過ぎても食べきれない程の餅が残ってしまっていた。3学期が始まって、給食が始まるまでの毎日は昼食が餅ばっかりだった。土曜日も食っていた。次第に時間が経って、それは放っておくとカビが生えてくる。それがまたカラフルでいて、サイケデリック。「餅のカビは大丈夫」と親は言うが、あまり気持ちの良いものではない。真空パックとなった今ではそんな心配もなくなったことだろう。
きな粉餅がもっとも贅沢な食べ方だった。そのうちようやくこのきな粉の力で残った餅を一掃することができた。しかし今度はきな粉の方が余ってしまった。そこで今度はふりかけの如くこれをご飯の上にかけて食った。餅もご飯も似たようなものだが、今思えば、ご飯にきな粉は相当に気持ち悪い組み合わせだった。今なら到底手を出さない。
もはや残ってしまって困ってしまうほど、買ったりもらったりしなくなった。基礎代謝の量が減ったのと日々の運動不足のため、過食すると太りやすくなってしまった。餅など大敵。石油ストーブがなくて良かった、と胸を撫で下ろしている。明日は鏡開き。
(秀)
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