第96話 ■占わない

 朝のテレビ番組までも金太郎飴になってしまっている。まるでワイドショー並だ。出て来るアイテムも同じである。新聞と占い。当たり前のことであるが紹介している新聞記事はほとんど同じである。また、当たり前のことであるが占いの結果はまちまちである。きっと最初に見た占いの診断結果が悪かったら(悪くなくても、全部見ないと納得しないため)、別の番組までもチェックしている人もいるはずだ。

 私には理解できないが、占いにはまっている人が結構多いのは確かだ。「占いなんて当たるもんか」と言おうものなら、自らの人格が否定された如く反論して来る人がいる。ただそれが論理的だったためしがない。占いは学問でも科学でもない。しかし、占いを支持する人はあたかも占いが学問や科学と同じものであるかのように思っている。心理学者が世間に迎合し、性格判断と占いの境を曖昧にしてしまったことが原因だろう。改めて断言しよう。性格診断と占いは全く別物である。心理学で行う性格判断に星座や血液型、ましてや名前や手相などの要素は介在していない。血液型占いなどさも科学的な雰囲気を装っているが、科学的に突き詰めると血液中に性格を構成する成分など一切含まれていない。もちろん、心理学も統計学の要素を持っているため、答が一通りであるとは限らない。このことも境を曖昧にしている原因の1つである。

 「人間を4つや12のパターンで分類できるのか。同じ誕生日で同じ血液型の人間は、同じ性格で同じ運命をたどるのか?」、という問いを占い信奉者にぶつけてみると面白い。「運勢や人生は単に血液型や星座だけでなく、あらゆる占いの要素の複合で決まる」という乱暴な回答をもらったことがある。どうやらその答が朝から自分の好みの占い結果を探すことらしい。誤差のあるものを寄せ集めたら、ますます誤差は大きくなる気がするが。確かに複合的な要素には違いない。