第967話 ■戦争が始まった
昼食に入った店のテレビでイラク攻撃の第一報に接した。連れとは会話も交わさず、黙々と出て来たものを口に運びながら、目はテレビに釘付けになった。まだ情報が少ないらしく、何度も同じ事を繰り返している。言ったからにはかますだろうと予想していたが、「とうとうやったか。結構せっかちだなあ」と思った。白んできた現地の空にピカピカと閃光が見える。
しかしどうも分かりにくい。この戦争のそもそもの意味が。戦争とはそういうもんだと言ってしまえばそれまでだろうが、当事者にはそれなりの大義名分があってしかるべき。米国民は依然としてその多くが大統領を支持していると伝えられているが、その言い分が正しく理解されているのだろうか?。逆にそれは危ない人々だということでもある。
「大量破壊兵器」。それを隠し持っていないか査察をし、懲らしめてやろう。けど自分達は持っていて、「お前等は持つな」という論理では説得力がない。良い核兵器や悪い兵器という区別がないのと同様。
マスコミがいろいろと報道合戦を繰り広げているが、彼らの目的やモチベーションは何だろうかと考えてみる。他よりも早く正確な情報を知らせることに生きがいを感じる報道魂というのが多分に感じられる。一方、それを見ている人々の多くは私も含めて、とっさに何かの行動を起こすわけでもない。所詮、遠い国での出来事、テレビの中の出来事(リアルなノンフィクションであるが)。
しかし、そう言っていられるのは場所がイラクだからで、「けしからん!」と米国が次に北朝鮮までも攻撃しようものなら、日本人は盛んに戦争反対を唱えることだろう。それでも「同盟国」と言おうものなら、総理は即退陣だろう。どっちが正しいではなく、「恐いからそっとしておいてくれ」というのは極めて人間的だと思う。
良く分からない戦争について、ニュースショーではいろいろと分かったような解説をしてくれる。情報通なのだろうが、軍事機密がそうそう洩れるもんではなかろうし、そんな大事なことを第三国と言え、テレビで流せるものではなかろう。一般に報道されているものはその程度のことか、解説者が考え出したシナリオの所詮「だろう話」程度だと思うことにしている。
(秀)
-
前の記事
第966話 ■妄想・どこでもドア 2003.03.19
-
次の記事
第968話 ■戦争報道の周辺 2003.03.24