第1837話 ■コンビニ店員のコモディティ化

 私が日頃の生活で最もお金を落としているのが、近所のコンビニで、次いでアマゾンではないかと思う。近所と言っても、片道約千歩、往復で約二千歩。ちょっとした散歩を兼ねて、急いでいない場合は歩いて行くことが多い。十数年前にはこのコンビニのもっと近所に住んでいたが、相変わらず、ここより近所にコンビニ等ができない。家の周りは人口密度が低いから、まあ、こればっかりは諦めるしかなかろう。

 最近このコンビニでとても気になることがある。店員が結構頻繁に入れ替わる。先日は家人が朝行って、夜も行って、同じ女性が働いていて、「いったいあの人、何時間働いてるんだろう?」と言っていたが、その数日後に同じ顔の女性店員が二人、レジに並んでいたらしい。彼女らは双子(三つ子の可能性を否定するものではないが)で、家人はそれぞれを朝と夜で見掛けていただけだったようだ。その話を聞いて、自分も様子を見に行ったのだが、どうもそのときには二人とも店を辞めてしまっていたようだ。そんな感じで、年中アルバイト店員を募集し、毎週の様に、新たな店員が雇われている。

 その一方で、誰が店長なのか、未だに私には分からない。少なくとも、オーナー自らが店に出ている雰囲気はない。ただ、他の店員に偉そうにしている店員をたまに見掛けることがある。この男、出勤時に店の中を横切って奥のオフィスに向かうが、途中で客に挨拶する素振りなど一切見せない。多分、そんな責任者だからだろう。店員の教育が宜しくない。店員が客への挨拶すらちゃんとできない。

 「いらっしゃいませ」と、声は聞こえてくるが、自動ドアが開いた時に発せられる信号音に反応して、声を出しているだけでしかない。客の方を見ることなく、声を出すだけ。商品の陳列に集中しすぎてか、近くの客に挨拶することもなく、通路を塞いでいる陳列中の商品を客が避けても、何も言わない。レジが混んで行列ができようと、陳列に専念し、気が付いているのかどうか分からないが、進んでレジに入るようなことはしない。他の店員もそれを促すような声を発することもしない。

 数日前に、「労働力のコモディティ化」という言葉を、このコラムの中で書いたが、まさにその最たる現場を見たようだ。コモディティ化を仕掛けているのは、雇う側で、大した従業員教育をやらない。そんな環境で育った先輩を見て、新人店員は、できるだけ楽をしようと思ってか、想像力を働かせたり、工夫をしようとしている感じが全くない。こうして、雇う側と雇われる側の思いのギャップが広がり、どちらがきっかけなのか私には分からないが、頻繁に店員が入れ替わる店になってしまっているのだと思う。競合店が近くにないから、やっていけてるだけのような気がする。

(秀)