第1787話 ■Twitter熱冷める
電車の中などで急に携帯電話の着信音が鳴って、そいつが電話に出て話し始めたとしよう。うるさい、という不快感がある一方で、どうでもいい他人の話を聞かされる不快感もある。これは携帯電話に限らず、電車内のおばさん達の会話もそうだ。その話している声がどうも不快に感じる周波数のものなのかも知れない。そして、こういうときはほとんど有益であったり、建設的な話題は出ない。個人的な不満を大きな声で聞かされても、甚だ迷惑だ。
さて、Twitterである。何だかTwitterが関係ない人のどうでもいい話を見せられるツールに思えてきた。顔を見たことない人ともコミュニケーションが取れるところが面白いのだろうが、そんな知らない人から、「おはようございます」とか、「○○なう」とか、「××しています」って言われてもねー。方や多くのフォロアー(参照してくれる人)を抱えている人(企業だったりもするが)は、一方的に、売らんかな、の情報を流しているのがほとんどだ。
フォロアーの数を増やすことに熱心な人もあって、フォローの数を増やしていけば、そのうちの何人かはフォローを返してくれるから、このやり方でフォローとフォロアーを増やしている人もいる。中にはフォローを一旦返してくれるが、こっそりそのフォローを解除されていたりもするが、フォローしてくれる人を増やすために、自分からフォローを増やしていくのが、もっとも手っ取り早く、確実な方法であるようだ。
そのような人なのかどうかは分からないが、知らない人が私をフォローしてくる場合があって、私もお礼にフォローを返すようにしていた時期があったが、その結果、知らない人のどうでもいいつぶやきが画面にあふれてしまった。共通の趣味があろうが、同じ市内に住んでいようが、会ったこともない人のつぶやきがノイズに思えてきた。フォロアーが多いのはまだしも、フォロアーを増やしていくためにフォローの数を増やしても、実際には見てられないのではなかろうか?。そんな読めない分までのフォローにどれだけの意味があるのかな、と思える。
そもそもインターネットはサイトであれ、ブログであれ、知らない人同士がコミュニケーションできる場である。当初、Twitterも同様かと思っていたが、実際には違っていた。Twitterは文字数が圧倒的に足りないのだ。このため、メッセージ性が不足すると共に、この気軽さが、どうでもよいつぶやきをあふれさせ、私にとってのノイズを容易に生み出すツールになってしまった。
そこで私はフォローする人を極力絞った。お互いがフォローしあっていても、例え共通の落語というキーワードがあっても、知らない人をフォローするのを止めた。そうすると、幾分すっきりしてきた。そして今度は自分もノイズを発しているのではないかと思い、つぶやく回数を大幅に減らした。冷静になって考えれば、Twitterなんて無くても特に生活に影響がない。
一部の鼻息の荒い人々が熱心につぶやき、フォロアーの獲得に執着しているのではなかろうか?。既にピークは過ぎたと思うよ。
(秀)
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