「そんたく」と読む。特に目上の人に配慮し、相手の気持ちを推し量ること、の意味である。良かれと思って、相手のためにそれとなく動く感じである。実はこの言葉が、今の社会で起きている様々な事件の背景となっていることが多いと思う。

 例えば、三菱自工の燃費不正問題。現場が勝手にやったとは言えないくらい、長期間に及ぶ改ざんだった。燃費の目標を定めるにあたって、上層部は本当にその目標が実現できると思っていたのだろうか?。技術部門のトップは上がってきたデータの報告に微塵の疑いもなかったのだろうか?。現場での動きが、保身と言われようと、隠蔽なども含めると、忖度があったと言わざるを得ない。嘘をつくという形での忖度である。

 もう一つは、舛添都知事の高額な海外出張費。本人はそれを望んだわけでもなく、事務方が気を回して、あるいは旅行会社の言いなりとなって、税金から高額な費用が支出されている状況といった感じの言葉を都知事は語っていた。都知事はそう思っていなくても、周りが気を回して、お膳立てを行う。都知事をかばうつもりはさらさらないが、当事者が忖度し、対象者がそれを知らない、知らされていない、あるいは、知らないふりをしているのではなかろうか?。さて、誰が悪いのだろうか?、誰の責任。

 世の不正のかなりは、忖度によるのではなかろうか?。マンションの杭打ち問題や食品の不正問題とか。トップが知らされていなかったとしたら、それは周りが不具合のことをトップに伝えないという忖度である。その場合、良かれと思ってそうしていることが多く、仲間意識から、危機感が希薄になってしまう。

 そもそも、忖度自体は悪いものではない。オーナー一族でもない限り、会社をはじめ組織の中に存在し、それをできる人が「デキる人」と認められて、出世する。そうして偉くなった人は、また同じような人を引き上げる。それが構造化され、定着される。もしもの場合にどんな事態が起きるのかという、「想像力の欠如」。これは、別に不祥事の話だけでなく、過失や重過失の状況でも当てはまる。相手の気持ちを推し量る想像力はあるものの、危機に対する想像力がない。

 良い忖度と悪い忖度とでも、使い分けようか?。いや、そういうもんでもなさそうだ。

(秀)