第1068話 ■銀塩写真の行方

 きっとそのうち、近い将来、銀塩写真なんて世の中からほとんど消えてしまうのではなかろうか?。もったいぶったい表現をしたが、銀塩写真と言うのはファイルを使った写真のことである。それともう一つ、表現が正確でなかった。既にアルバムに貼られている写真がなくなるわけではないので、新たな銀塩写真とでも言うべきだろうか?。

 既にフィルムカメラとデジタルカメラの市場規模は逆転してしまっている。デジカメは何かと便利だ。すぐに見られるし、すぐ消せる。すぐ撮り直しもできる。自前でプリントできる。コンピュータなどに取り込んで送ったり、加工したりしやすい。それに引きかえ、フィルム写真のアドバンテージなど、もはやないに等しい。肝心の画像の差ももはやほとんど問題にならない。

 かつて写真少年だった私は白黒写真ならば自分でフィルムの現像も行ったなら、焼き付け・引き伸ばしも自分でこなした。撮り終えてからのこれらの作業が楽しみでもあった。もちろん撮るときもファインダーを覗きながら、レリーズボタンを押すその一瞬は息を止めるほどの緊張感を楽しんだ。しかし、現像などは、その準備や後片付けはかなり面倒だし、金も掛かる。

 最初の標準レンズだけで撮っていた頃の方が色々と工夫をして撮っていたと思う。次第にレンズが増えたりズームレンズを使用するようになってくると、自分で動こうとせず緊張感のない写真しか撮れなくなってきた。それを機に写真の趣味は止めてしまったようなもんだ。

 もはやここまで来て、今後フィルムカメラに銘機は誕生しないことだろう。フィルムカメラの歴史は終わったに等しい。銀座や新宿の中古カメラ店の陳列棚がいずれデジタルカメラに占領されてしまうかと思うと心穏やかではいられない。それならば老後の楽しみのために早めにライカでも買っておこうか(以前ライカを持っていたが、自分にはまだ早いと思い売ってしまった。第46話参照)と考えたが、間もなくフィルムを買うのも困難になるかもしれないし、現像・プリントをやっている写真屋も街からほとんど消えてしまっているに違いない。それこそ自衛で現像やプリントを行わなければならない、過度にマニアックな趣味になってしまうかもしれない。

(秀)