第1067話 ■田舎の新聞

 妻にクール宅急便が届いた。月一くらいの割合で実家から彼女に荷物が届く。子どものおやつも入っているが、私宛のものは何も出て来ない。遠巻きに見ていてちょっと悲しい。箱からものが全て取り出され、冷蔵庫にしまわれたのを確認して、緩衝材代わりに詰め込まれていた新聞紙を拾い上げる。

 いつも詰め込まれている新聞紙は私もかつて読んでいた郷土の地方紙だ。くしゃくしゃにされたそれの皺を伸ばしながら頁を揃えていく。故郷の懐かしさを楽しもうというよりも田舎メディアの馬鹿馬鹿しさを見てやろうという気持ちである。他の地方新聞でも同じような傾向だろうが、都会を中心とした大手新聞には見られない独特の味がある。

 その独特の味というのは全国紙では絶対取り上げられないような、過剰なまでの地元偏重の構成である。本当に些細な、これまたその関係者だけにしか価値のないような記事が平気で紙面を埋めている。そんな地元紙をその地域の8割近くの家庭で購読しているであろう。また、その多くはこの新聞だけを購読していると推測される。

 私もかつてそうであったように、この新聞だけで情報を仕入れるとなると、ここに書かれている情報が全てであるかのような錯覚を起こしてしまう。ましてや都会の様子などを知らずに地元ネタばかり書かれた新聞をだけを読んでいれば、変な世界観が構成される可能性もある。

 何もそんな悪影響の原因は地元ネタばかりではない。この手の地方紙は全国版のニュースとなると独自の支局駐在員からの記事だけでなく、通信社から記事を買って掲載したりしている。あながち嘘の情報ではないだろうが、伝え方を間違えれば、あるいは受け取り手の解釈によっては真実とは異なった形の記事となってしまう。

 私がこの日見た記事の中に、「東京では今立ち飲みが流行っている」という記事が写真付で紹介されていた。「スタンドバー」。確かにそういう店もいくつかあるだろう。ところが私はそんな店が流行っているなどの認識はないし、噂も耳にしたことがない。しかし、田舎の人々はその記事を読んで、それを真に受けてしまう可能性は高い。きっとこの記事を掲載している編集者達もそれが正しい情報だと思っているだろうから、余計にたちが悪い。

 例えば私が帰省した際などに、私に向かってその新聞で仕入れた知識を気取って確認してくるかもしれない。「東京では立ち飲みが流行ってるんだって(本当は方言での会話文が適正かもしれないが、全国的には通じないので、標準語にて表現)?」と聞かれようものなら、きっと私は笑い転げてしまうことだろう。 改めて言おう。「そんな店、ちっとも流行ってないぞー」。このコラムを投稿してやろうかな、その新聞に。

(秀)