第1105話 ■着信アリ

 ここのところ、邦画のホラー作品が注目されるようになったのは「リング」からであろう。その後もまあ、いろいろとホラーと言うかオカルトと言うか、数多くの作品が作られているわけだが、ちょっとばかしこの傾向を私は嘆いている。そもそもあまり見ていないから、そうそう声高に言うのもなんだが、前評判だけで封切り後、途端にトーンダウンしてしまう作品が多すぎないか?。

 それらしい見せ場のシーンはあるだろう。しかしそれはホラー映画に限らず、テレビCMで流されるシーンが最も良い見せ場シーンで、それ以上のハイライトシーンがないことが多い。とりわけ、ホラー映画は怖いものが出てくるシーンではなく、それを見た人(ほとんどが女性)が恐怖に悲鳴を上げるシーンが多用される。何が怖いではなく、怖がっている人を通じて恐怖を伝えようとする。それは役者に泣かせて観客の涙を誘うのと同じくらい姑息だ。

 さて、現在上映中の「着信アリ」であるが、映画を見たわけではないが、原作本を読んだ。「よく分からん」というのが率直な感想。そもそもこの手の映画はあまり見ないし、原作本を読むこともないのだが、アイテムとして携帯電話が使用されているところに何かハイテクなトリックでも隠されているのではなかろうか、と期待してみたものの、そんなものは一切なかった。

 ある日、自分の携帯電話に数日後の自分から死の予告電話が掛かってきて、しかもその発信元は自分の携帯の番号である。そして、その死んだ(殺された)人の携帯電話の電話帳に載っている人の中の誰かがまた連鎖して死んで(殺されて)いく話であるが、どうして未来の自分の携帯から電話が掛かってくるのかという謎は全く解明されない。オカルトやホラーというのは非現実の世界だから、要は何でもありである。だから、話の構成の緻密さが希薄になってしまうことが多いような気がする。

 きっと数ヶ月すれば、ビデオになってレンタルも始まることだろう。そしたら私も、とりあえず借りて見るだろうけど、きっとしばらくは「貸出中」が続き、なかなか見ることができないだろう。こんな風に、「映画で人が入らなくても、ビデオやテレビの放映権で何とか穴埋めができるだろう」、といった感じの邦画が多いと思っているのは私だけではなかろう。

(秀)