第159話 ■映画人になりたかった

 かつては映画人になりたかったが、どうすればなれるかもわからないまま、何の努力もしなかったため、サラリーマンに甘んじている。一般的に映画好きという人は洋画を多く見る人のようだが、私が見るのはビデオも含め、邦画がほとんどである。洋画は見てて分からないシーンが何ヶ所か出てくる。それは、文化が違うためストーリーの細部まで理解できないからだ。例えば、舞台となっている場所自体がメッセージを持っていることを意識している人は少ないだろう。産業や治安、人種に宗教、というものがアメリカ人には何の予備知識なしに飛び込んでくるだろうが、日本人は画面を眺め、言葉を追うことに意識が集中し、ストーリー設定に込められたメッセージの存在自体に気が付いていない人が実に多い。こんなことを字幕を追いながら深読みするには実に疲れてしまう。こんな話をすると「そんなの気にしてない」と言う人が実に多い。

 数の意味で世界一の映画制作国はインドである。俳優は月に七本を掛け持ちでこなしているらしい(聞いた話で確認はしていない)。これは日本のAVよりも凄いことかもしれない。それ以上にこれだけの数の映画を上映するシステム(映画館の数、動員数、収入)を持ち、それが維持出来ていることも十分凄いことである。大変なのは俳優だけでなく、スタッフも作家も相当へとへとに違いない。そのためストーリーが単調で、突然一同が踊りだすのもしょうがないことかもしれない。「インドに行けば自分も映画人になれるかもしれない?」、「けど毎日こんなもんばかりは食べ続けられないなあ」と、予想以上に激辛のカレーに苦しみながら、考えたりする。さっきから軽快なあのダンスリズムが頭の中でこだましている。