第166話 ■宝くじ

 今年もまた、年末ジャンボ宝くじの季節がやって来た。ジャンボ宝くじのようなメジャーな宝くじが発売される度に「もう、買った?」と私に尋ねてくる人がいる。5年ほど前のことが原因で、どうやら誤解されているらしい。その出来事とは、「DAISUKI」でやっている、ジャンボ宝くじのまとめ買いを職場でやって、その発起人と幹事になったことを指している。1口3,000円で出資金を募り、当選金額を頭割りするというものである。集まるのは50口ぐらいで、それを番組同様分担して買いに行き、年末ジャンボであれば、年明けの仕事初めの日の就業後にみんなが集まって会社の会議室で照合会を催すのである。最初は緊張感があるものの、500枚もの照合の間、そのテンションを維持していることは困難で、帰省の際、田舎で買って来た日本酒などが振る舞われ始めると会場の雰囲気も次第に変わっていく。

 末等の300円は別として、3,000円でも当たれば本来はうれしいものだろうが、買った枚数が半端ではないため、その3,000円は1口当たりわずか60円の配当で、結局、払戻金は1口当たり300円+αにしかならない。テーブルに並んだつまみ代を払えば、おしまいとなる(赤字だったかもしれない)。しかし、みんなで金を出し合った連帯感や照合会の姿を借りた飲み会の雰囲気がみんな好きらしく、懲りずに「次は1億5,000万円(当時)だ」と気勢を挙げての解散となる。結局このまとめ買いは2回行い、人事異動で私がその組織から外れたことで終わってしまった。

 正直なところ、私は宝くじには何の思い入れもない。楽しいイベントのツールとして使用したに過ぎない。確かに、3億円は欲しいが宝くじを買うようなことはしていない。確かに当たればでかいが、競馬などに比べて、当てることに対する主体性がないし、当選金の配当率も良くない。買い続ければ、買い続けるほど一発逆転でもしない限り、自動的に負けが込んでいくシステムなのである。「あそこの売り場は良く当たる」と言って、長い行列を作っている売り場があるが、それはそれに見合った本数が売れているだけのことで、単なる確率の話を運や縁起に結び付けるのはいかがなものだろうか?。当選発表までのドキドキ感を楽しむ程度にとどめておくぐらいが良いかもしれない。強欲な我が父親は毎年買っているようだが、「その分、俺に投資しろ!」と言ってやった。